第1回:唐破風のあるお風呂屋さんへ行ってみよう

 

 京都のお風呂屋さんの特徴のひとつとして、戦前の建物が多く残っていることが挙げられます。お風呂屋さんのイメージとして唐破風を思い浮かべる方も多いでしょうが、そんな昔ながらの唐破風のあるお風呂屋さんも簡易な様式を含めると18軒ほど残っています。
 反曲カーブが印象的な唐破風は、「唐」と付くあたりから中国から入ってきたと想像される方もおられるかも知れませんが、日本独自のもので、鎌倉時代に生まれ、安土桃山時代に最も隆盛を迎えた様式だそうです。破風の形式としては、最も格が高いとされ社寺建築や城郭に主に使われてきました。
 明治に入ると公共性の高い役所や学校、劇場などの建物に見られるようになり、京都でも明治3年の火災後復興した「南座」や、明治28年新築された「藤井大丸」(百貨店)、同年に新築された「先斗町歌舞練場」(3件共現在の建物ではありません)のほか、番組小学校と呼ばれる市内の小学校の講堂などにその姿が見られます。
(←こちらは現在の南座。屋根に載る魯は、昔の芝居小屋の名残。)
 長らく社寺建築を中心に用いられていた唐破風ですが、もともと風呂とお寺の関係は深く、大寺院では寺のお風呂(蒸し風呂)を一般の人にも開放する「施浴」が行われていました。現在でも妙心寺(*1)などに残る遺構では、建物内に造られた箱形の蒸し風呂の入口に唐破風の意匠を見ることが出来ます。
 町の銭湯でも明治時代中頃までは、熱気を逃がさないため浴槽の周りに箱形の部屋を造り、柘榴口(ざくろぐち)という低い位置に作られた出入り口がある形式が一般的でしたが、その柘榴口の周りにも唐破風や鳥居などの意匠が使われていたようです。
 これらの室内にあった唐破風が、いつ頃から風呂屋の建物の外に出てきたかという問題ですが、歴史的には町の風呂屋以前に温泉施設に唐破風が見られます。有名なところでは、松山の道後温泉の本館が明治27年に現在の形になりましたし、京都でも明治6年に現在の円山公園に開業した「吉水温泉(*2)」という湯治療養を目的とした人工温泉(今で言うところの薬風呂)の建物に唐破風が用いられていました。
 こののち町の風呂屋に唐破風が付き始めるは、どうも大正末期〜昭和の初め頃のようです。東京では宮造りと呼ばれるお寺の様な銭湯(*3)が数多く見られますが、この発端は関東大震災(大正12)の復興期に宮大工が自分の技術を活かし、今までにない豪華な銭湯を造ったところ、評判を呼び広がっていったというのです。しかし、京都ではこの様な宮造りのお風呂屋さんは見られません。同じ唐破風でも、京都の場合は二階建ての町家に唐破風だけが付いているものがほとんどです。
 京都の現存するお風呂屋さんの唐破風で、一番古いと思われるのは「船岡温泉」で大正12年の竣工です。(この記事を書いた2年ほどあとに、船岡温泉の唐破風は昭和に入ってから取り付けられたものだと知りました。お詫びして訂正します)。船岡温泉は元々料亭を兼ねた施設だったのですが、同年に建てられた木屋町松原にある元料亭鮒鶴(現ザ・リバー・オリエンタル京都)にも唐破風の意匠が見られるのは興味深いところです。
(→松原橋からのザ・リバー・オリエンタルの外観)
 船岡温泉以外の唐破風の残るお風呂屋さんは、何軒か伺った話では全て昭和初期に建てられたもので、東京で宮造りの銭湯が増えた時期と重なるのですが、唐破風という共通点を持ちながら、建物の様式が東西で全く違うという点は、地域性が現れて面白い点です。
 唐破風が町のお風呂屋さんの外観として一般的になる以前はどうだったかという疑問が残りますが、これについては興味深い資料が大徳寺近くの「朝日湯」にあります。「朝日湯」は現在ビル型銭湯になっていますが、フロントに明治時代と昭和初期の写真が飾られており、明治時代の様子を見ると屋根の低い町家で、道路に面し男女分かれた暖簾が掛かっています。こののち昭和9年に建物を新築されるのですが、こちらは立派な唐破風がある総檜の建物で、この時期にお風呂屋さんの唐破風が一般化した事を物語っています。この昭和9年の写真は、新築祝いで建物の前に多くの人が集まり、花輪や幟が立ち並び、その豪勢さがよく伝わってきます。
 ほかにお風呂屋さんの唐破風が一般的になる前の様子を物語る建物としては、大正8年に建てられた河原町丸太町の「桜湯」があります。こちらは本二階建て(*4)の町家で、二階は居住スペースになっています。これらのことから想像すると、唐破風が一般的になる以前は、町家の建物で他の民家などとも大差はなく、男女別々の入口が番台を挟み建物中央にある姿が、京都の一般的なお風呂屋さんのスタイルだったのでしょう。
 ま、なにはさておき実際に見てみるのが一番です。唐破風を見に、町に出掛けましょう!

川千鳥がデザインされた船岡温泉の懸魚(げぎょ)。京都では豪華な彫刻が見られるところは少ない。

壬生の路地裏にある芋松温泉。金文字で書かれた「芋松温泉」の看板も見どころ。2階建ての町家に唐破風というのが京都のスタンダード。

元藤森湯の瓦と懸魚。瓦には「藤森温泉」の銘が入る。銘入り瓦は、船岡温泉、長者湯、瑞喜湯でも見られる。

*1

京都では同様な蒸し風呂が、建仁寺や東福寺、相国寺などにも残っており、特別拝観の際に公開されます。妙心寺は通年見学が可能で、浴室については本編「花園湯」の周辺案内で紹介しています。

*2

吉水温泉には、金閣寺を模した静養室兼展望台もありました。周辺の様子としては、明治14年に北隣に外国人向けの「也阿弥ホテル」が開業、明治19年には円山公園が完成します。吉水温泉は明治39年に也阿弥ホテルと共に焼失しました。

*3

代表的な宮造りの銭湯として東京都足立区の「大黒湯」が挙げられます。こちらは「おでかけ編」で紹介しています。

*4

明治中頃までの町家は屋根が低く、2階は中2階と呼ばれる形式です。それに対し今でいうところの2階建てを本2階といいます。

   

<唐破風のある(あった)お風呂屋さん>

下鴨〜上賀茂周辺

二葉湯

大徳寺〜金閣寺周辺 

竹殿湯

上野湯

朝日湯

昭和60年取り壊し

同志社大学周辺

蛭子湯

西陣周辺 

船岡温泉

国指定登録有形文化財

藤森湯

現在複合ショップとして営業

長者湯

京都市の歴史的意匠建築物指定

二条駅〜壬生周辺

龍宮温泉

昭和30年頃まで
竜宮温泉HPの竜宮写真館参照

栄湯

簡易な様式

山田湯

芋松温泉

祇園〜平安神宮

滝の湯

トタンで覆われている

丹波口〜梅小路周辺

亀湯

山科周辺

御陵湯

山科湯

簡易な様式

嵐電沿線(北野線)

椿湯

瑞喜湯

八条口〜十条周辺

九条湯

別府湯

トタンで覆われている

東寺〜吉祥院周辺

寿湯

トタンで覆われている

注:他にも唐破風のあったお風呂屋さんはあるのですが、唐破風が現存するところと現在も営業されており往時の様子を確認出来るところをピックアップしました。

   

<参考資料>

書名等

著者

出版社

発行年

廿世紀銭湯写真集

町田忍 監修 
大沼ショージ撮影

DANぼ

2002

銭湯へ行こう

町田忍 編・著

TOTO出版

1992

銭湯へ行こう 旅情編

町田忍

TOTO出版

1993

銭湯の謎

町田忍

扶桑社

2001

日本の近代建築(上)

藤森照信

岩波新書

1993

写真で見る京都今昔

菊池昌治

新潮社

1997

京・まちづくり史

高橋康夫・中川理 編
(参照箇所は大場修氏執筆)

昭和堂

2003

写真集成京都百年パノラマ館

吉田光邦 編集

淡交社

1992

京都新聞

THE RIVER ORIENTAL
ホームページ

(2004.1.23/2013.5上野湯追加)

 

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