お風呂よもやま話

こちらでは、お風呂屋さんについて思うことを硬軟取り混ぜ書いていこうと思います。
お時間のあるときに読んでください。

第1話

いいお風呂屋さん

第2話

いろんなひとびと

第3話

茶道とお風呂屋さんは一緒だった!

第4話

お風呂屋さん天国・京都

第5話:

入りにいくか、観に行くか

特別編:

第三回世界水フォーラム分科会
レポート&入場記

第6話:

風物とお風呂屋さん

特別編:

大阪・みどり温泉 
背景画公開作製レポート

第7話:

廃業したお風呂屋さん、その後。

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第7話:廃業したお風呂屋さん、その後。

 いきなり少し暗い出だしですが、京都のお風呂屋さんもご多分に漏れず、毎年10軒ほどのペースで廃業されています。ほとんどの場合、建物は取り壊されて駐車場や新しい建物になるというパターンですが、そんな中で第2の人生を歩み始める建物もあります。今回は、そういう物件について書いてみようと思います。

 お風呂屋さんの建物が転用された例で、一番知られているのは船岡温泉の近くにある「元藤森湯」でしょう。昭和初期に建てられた外観は、京都の町家風建物に唐破風があり、浴室内は鮮やかなマジョリカタイルで飾られ、素人目にも潰してしまうのはあまりにもったいないと思わす建物です。現在は、カフェとショップの入る複合施設「離楽庵WOOD-INN」として再生しています。
 この建物、現在は文化財登録されており、万人がその価値を認めるところですが、お風呂屋さんとして営業している時は、設備的にも劣り、規模も小さい一軒でした。昭和初期の建物を大事に使ってきたことと、他にないマジョリカタイルが贅沢に使われている浴室を、あまり手を加えず守ってきたことが再生に繋がったと言えるでしょう。

 でもまあ、藤森湯は特別な例です。ここから紹介する物件は、地味な再生ですけどお風呂屋さんファンとしては、嬉しい使われ方をしています。

 ひとつ目の例は、夷川通小川西入の「都湯」です。廃業されて3〜4年ぐらいだと思うのですが、建物はそのままにリサイクルショップになっています。販売しているものもリサイクル品なのですが、建物自体がリサイクルされているのが店のポリシーを現しているようで素敵です。覗くと脱衣場の仕切壁もそのままに脱衣場が売り場になっていました。主に子供服やおもちゃ、雑貨などを扱っておられますが、入口には暖簾のように赤、青2枚の布が男の子用も女の子用も扱っていますという目印に掛けられ、看板代わりになっています。

 次の例は、西陣の五番町近くにあった「石川湯」と、東山区の泉涌寺近くにあった「泉涌寺湯」です。この2軒は廃業後、医療福祉施設のデイサービスセンターとして再生しました。万人を受け入れるという役目は廃業という形で終わってしまいましたが、地域のお年寄りにお風呂に入ってもらって、世間話に花を咲かせたり、ゲームを楽しんだりというお風呂屋さんが本来持っている役割に近い形で再生したわけです。
 新しい立派な施設を作るのに比べたら、改装に掛かる費用は割安でしょうし、なにより新しくても殺風景なお風呂に比べ、街の風呂屋は精神衛生上も優れていると思います。廃業したお風呂屋さんに目を付けた医療福祉施設の人は、いいところに目を付けたものです。

 他にも変わり種としては、下鴨にあった「朝日湯」がゲームセンターになっている例なんかもあるのですが、転用され再生しているのはごく一部です。
 最近京都の町家はいろいろな形で再生の事例が出てきており、家主さんと借り手を結ぶ「町家倶楽部」さんの活動も注目を集めるようになりました。お風呂屋さんの建物も廃業後そのまま残っている物件がたくさんあります。お風呂屋さん物件を使いたい人ってあまりいないですかねえ。
 今回は、そんなお風呂屋さんにも再生して欲しいという願いを込めて、惜しくも入湯を果たせず本編で紹介できなかった物件で、現在も建物が残っているところを並べておきます。うまく転用されて再生したなんて話があれば、是非お知らせ下さい。

 

←東山区泉涌寺東林町
「旧泉涌寺湯」
デイサービスセンターとして再生しています。前に立つとお年寄りの笑い声が聞こえました。

→北大路下鴨本通り西入
「旧朝日湯」
このお風呂屋さんは屋上に太陽熱温水器を備える異色の一軒でした。
廃業後も異色の歩み。

↑中京区夷川小川西入
「旧都湯」
現在はリサイクルショップ。

←北区紫野郷ノ上町
「旧金閣湯」
いのきんさんの入浴記によれば見事な富士山のタイル絵があったらしい。タッチの差で入れませんでした。

↑上京区千本寺の内下る西入
「旧柏湯」。
細い路地の中にひっそり。巣箱の看板をタイトル写真に使ったことがあります。

←北区大宮北山上る
「旧紫竹温泉」
よく見れば洋風建築のがっしりした建物です。

←下京区高倉松原下る
「旧福湯」
引き戸の中に暖簾が掛かったままで、透けて見えました。


↓右京区鳴滝本町
「旧鳴滝湯」
立派な唐破風が印象的な建物です。

←上京区寺町今出川上る
「旧かささぎ湯」
ここは奇跡的に学生時代に一度入ってます。こぢんまりした街の湯でした。

→北区建勲神社前「旧栄温泉」
コインランドリーは現在も営業中。

 (2004.5.14)

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第6話:風物とお風呂屋さん

 京都には季節を問わず、お祭りや行事、季節の花々などいろいろな風物があります。また、それらの風物に合わせ、その季節になると行きたくなる場所や、食べたくなるものがあるものです。
 私の場合、土用の丑の日になると下鴨神社の御手洗祭に行って、帰りにはみたらし団子を食べたくなりますし、桜の時期には必ず円山公園から祇園白川の辺りの夜桜を見に行きたくなります。
 今回は、そんな風物とお風呂屋さんの関係について少々お付き合い下さい。
 一ヶ月ほど前のことでしょうか、このサイトを見て頂いている方から一通のメールを頂きました。京都市近郊にお住まいの方ですが、四条室町近くにあった「都湯」(2003年2月廃業)について検索しておられ、このサイトに辿り着かれたそうです。メールの内容を掻い摘んで書きますと、一度祇園祭を見に行く際、さっぱりと汗を流しに都湯へ立ち寄られたことがあるそうで、それ以来祇園祭の時期に都湯へ立ち寄るのが年中行事になっていたそうです。
 都湯は以前、祇園祭に参加した鉾の引き手や、山のかき手の方に営業時間前にお風呂を解放されていたこともあるようですし、まさに祇園祭と結びついて、季節に溶け込んだ存在だったわけです。
 私が回ったお風呂屋さんの中にも、そういった季節の風物と相まって魅力を発揮するお風呂屋さんが何軒かあります。
 これは以前も書きましたが、北野天満宮近くの「梅の温泉」。ここは浴室奥にある庭に白梅の老木があり、2月に訪れると凛とした姿を見せてくれます。また、三条白川近くの「若松湯」。ここは白川に架かる橋のすぐそばにあるのですが、6月上旬になると白川に蛍が舞います。他にも夏に訪れると前を流れる白川の瀬音が涼しさを感じさせてくれる「銀閣寺湯」、晩秋に訪れると坪庭にあるモミジの木が色づいている西陣の「長者湯」などなど、普段の生活以上に季節を感じさせてくれるお風呂屋さんが、結構あるものです。
 また、これはお風呂屋さんに毒されている私だけかも知れませんが、桜の時期には「桜」の名の付くお風呂屋さんを、梅の時期には「梅」の名の付くお風呂屋さんを回ってみたくなるのも風物とお風呂屋さんの結びつきではないでしょうか。
 残念ながら最初に書いた四条室町の「都湯」は、廃業してしまわれましたが、メールを下さった方をはじめ、多くの方が祇園祭になると都湯を思い出されることでしょう。
 普段は見過ごしがちな風物とお風呂屋さんの結びつき。私自身はお風呂屋さんの大きな魅力だと思います。みなさんも行かれたお風呂屋さんで、何かないか探してみてください。

(2003.7.21)

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ちょっと一息。
今年(2003)祇園祭の山鉾巡行に参加する機会を得ました。お世話になった八幡山の写真です。

←新町三条下るに建てられた八幡山の宵々山風景。
会所では夜泣き封じの土鈴と鳩笛が売られています。
残念ながら浴衣の女性は全く関係ありません(笑)。

→石清水八幡宮が勧請されている総金箔の社。天明年間の作と伝えられるもので、山鉾巡行の数時間だけ山に載せられます。

←鳥居に付けられる白鳩。
左甚五郎作と伝えられる。
(一部では差し込む向きが「左」と書かれているのでは?という冗談も・・・)

←山鉾巡行当日。飾り付けが終わった八幡山。朝日を浴びてきれいでした。
山は北向きに置かれていて、町内を一回りしてから四条通りに向かいます。山に向かってそっと手を合わすおばあちゃんの姿もありました。

出発前に山の前で撮影。
中央が管理人ですが顔はヒミツ→

御池通を巡行する八幡山→
平成15年のくじは、あとのまつりの「山三番」でした。
一周回すのは、くじ改めだけのはずが・・・河原町御池、御幸町御池、新町御池の3カ所でも回すことに。
山でも重さは1トン以上あり、八幡山は17人で担ぎ上げます。

参加記念にもらった手ぬぐい→

会所に帰る際、八幡山は新町通りに先に入れてもらいます。その後を放下鉾、南観音山、北観音山が順に新町を下っていきます。




第5話:入りに行くか、観に行くか

 お風呂屋さんは普通、当然ながらお風呂に入りにいく場所です。常連さんの中には、それに加え世間話をするのが楽しみという方もおられるでしょうが、私のような一軒のお風呂屋さんの常連になるのではなく、いろいろなお風呂屋さんを廻っている者にとっては顔なじみの方がいるわけでも無し、その+αはありません。
 しかし、いろいろなお風呂屋さんを廻る者だけに感じられる楽しみあります。その楽しみが「観る」ことです。観てなにが楽しいねんという話ですが、お風呂屋さん一軒一軒建物の造りは違いますし、装飾品も違います。観るものはいくらでもあるんです。もっと具体的に言えば、天井の造りから、柱一本、ポスター一枚、冷蔵庫の中のジュース、鏡広告なんかも観る対象となるのです。第1話の中でも書きましたが、新しい発見をしたり、いままで観たことのないものに出会ったりするとそこのお風呂屋さんを、「あ〜、いいお風呂屋さんだった」と思ってしまうのです。
 お風呂屋さん側が、こういうお客を想定していたわけでは無いんでしょうが、小憎たらしいぐらいにそういう演出をされているお風呂屋さんもあります。例えば島原温泉のように、岩風呂の上の方に観音様を飾ったりする演出は度肝を抜かれますし、梅の温泉のように、浴室から庭の白梅が観られるというような演出には、感動すら覚えます。
 こういうお風呂屋さんは、概して新しいわけでもなく、設備が秀でているわけでもないのですが、私のような者にとってはキラリと光るその仕掛けに、高得点を出してしまうのです。こういう風に観る対象としてお風呂屋さんを捉えれば、今はやりのスーパー銭湯も霞んで見えますし、ちょっとお風呂屋さんに行こうかなと思うでしょ。
 この駄文を読んで下さっている方は、既にお風呂屋さんを観る楽しさに気付かれている方が多いと思いますが、何かの拍子に読んでしまった方は、一度お風呂屋さんを観る対象として訪ねてみてください。付加価値としてお風呂に入れるという特典も付いてきますよ(笑)。

(2003.3.3)

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第4話:お風呂屋さん天国・京都

 京都で生活していて、京都の町中にお風呂屋さんが点在していることになんの不思議も感じていなかったんですが、お風呂屋さん巡りを始めて思うのは、京都は何を隠そうお風呂屋さん天国だったのです。みなさん、お気づきだったでしょうか。2003年1月現在で京都市内で営業されているお風呂屋さんは、浴場組合のホームページによれば約240軒です。平成13年のデータで、東京23区には1110軒の銭湯が営業していますが、京都ほど固まって点在している訳ではありません。暇人やなあと言われる事を覚悟で言いますが、中京区の東の方にある私の家を中心に、半径2Kmの円を書くと、一体何軒のお風呂屋さんがこの円内にあると思われますか?半径2Kmですので、自転車でゆっくり走っても15分もあれば行ける距離です。なんとこの円内に41軒もあるのです。半径2キロですので、面積は12.56平方Kmです。とすると1平方Kmあたり3.26で、1Km四方に3.26軒ある計算です。実際のこの円内には、京都御所や二条城、東山も入りますので、もっと密集しているはずです。もっと広げていえば、京都市街の端から端まで車で走っても1時間あればどこでも行けますので、1時間以内に行けるところに240軒あるわけです。東京の銭湯マニアに言わせれば、よだれものの環境です。私がお風呂屋さんを回りたくなる気持ちも分かっていただけるでしょうか。
 さらに京都の多くのお風呂屋さんは、サウナの別料金を取りません。京都ではあたりまえのこのことも、他府県では通用しない常識です。ほんと恵まれているんです。
 とそうこう考えているうちに、他の都市はどうなんだろうと思い組合のホームページがある都道府県を調べてみました。面積では、山林が多く含まれる都市もありますので、人口1万人当たりのお風呂屋さんの軒数で比較することにします。まず、京都市ですが人口約147万人に240軒ですので、1万人当たり1.63軒です。東京23区だと1.38軒になります。意外な所では、富山市は32万の人口で50軒のお風呂屋さんがあり1万人当たり1.56軒、同じく富山県の高岡市は17万の人口に対し37軒のお風呂屋さんがあり2.18軒と意外な充実ぶりです。この他にも、北海道の函館が1.59軒、室蘭が1.9軒、小樽が1.93軒と充実した都市があります。でも、調べた中で一番多かったのは大阪市でした。大阪市には、610軒のお風呂屋さんがあるんですが人口約260万人ですので、驚異の2.35軒です。大阪市でも、日本最大のコリアンタウンがある生野区には、一区で73軒ものお風呂屋さんがあります。
 こう見てみると、大阪、京都という都市はお風呂屋さんフリークにとってたまらん町です。この幸せを味わえるうちに楽しんでおきましょう。

(2003.1.24)

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第3話:茶道とお風呂屋さんは一緒だった!

 京都新聞夕刊の連載「21世紀を担う」の12月24日付記事の中で、茶道藪内流若宗匠 藪内紹由氏が「お茶は、気楽に、楽しくいただいてもらったらいいんです。そのうち、床の間の花は、花生けは、軸の書はと興味が広がる。さらにそこが茶室だったら空間にも関心が移る」。とおっしゃっています。さらに、奥も深いが、間口も広い。だから茶道は総合芸術だ、が持論だそうです。
 私はこれを読んで一緒だと思ったんです。言い替えるとですね「お風呂屋さんは、気楽に、楽しく入ったらいいんです。そのうちタイル絵は、タイル使いは、お風呂ドリンクはと興味が広がる。さらにそこが昔懐かしいお風呂屋さんだったら空間や建物にも関心が移る。奥も深いが、間口も広い。だからお風呂屋さんは文化なんです」が私の持論です。と、どうでしょう? 
 昨今お風呂屋さんが多少注目を帯びてくる中で、一部「銭湯道」の様な、一見客は常連客に一目置くべしだとか、カランは下座に座るべしのようなことが書かれていることがありますが、私は全くナンセンスだと思います。お風呂屋さんは、そんなに敷居の高いところであってはいけないのです。お風呂屋さんというのは、様々な人が、お風呂に入るという行為を通じて集まる場所です。その人を制限してしまってはいけません。私としては、お風呂屋さんは何人(なんびと)をも、もてなす空間であり、またお風呂に入るという行為を通じてそこに集った人がコミュニケーションを持ち、日々の生活から一時の安らぎを与えてくれる場所であって欲しいと思うわけです。
 さて、今書いたことを茶道に言い替えるとですねえ「茶室というのは、様々な人が、お茶をいただくという行為を通じて集まる場所です。その人を制限してしまってはいけません。私としては、茶室とは何人(なんびと)をも、もてなす空間であり、またお茶をいただくという行為を通じてそこに集った人がコミュニケーションを持ち、日々の生活から一時の安らぎを与えてくれる場所であって欲しいと思うわけです」となります。これを若宗匠が言って下さるかどうかは分かりませんが、どうです、茶道とお風呂屋さんは一緒だったでしょ。

(2002.12.24)

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第2話:いろんなひとびと

 昔からお風呂屋さんは、人々が集ってくる場所。いろいろな人が集うだけに、いろいろな人を見かけます。
 お風呂の入り方をとっても千差万別。私はサウナのあるお風呂屋さんなら、まずサウナに入り水風呂で火照りをさましてから、体を洗います。そして、湯船に浸かりひと心地ついてから洗髪をして、最後にもう一度湯船に浸かります。でも、からすの行水の様にさっと上がって行かれる方や、サウナと水風呂をひたすら往復される方、目をつぶりながら電気風呂にじっとしておられる方など様々です。今回は、そんななかでも際物とでも申しましょうか、珍しい方々のご紹介です。
 本編中にも書いているので、どこのお風呂屋さんかばれますが、中京区のNというお風呂屋さんでのこと。年齢はまちまちな数人のお客さんと一緒になったのですが、代わりばんこでバリカン片手に散髪をされていました。もともと湯屋と床屋は関係が深く、京都では隣り合っていることも多いのですが、お風呂屋さんで散髪とは。この光景はそれ以降どこのお風呂屋さんでもまだ見掛けていません。
 続きまして下京区のMというお風呂屋さんでのこと。私が湯船に浸かっていると後から学生風のお兄ちゃんが、ビニール袋を提げて入ってきました。シャワーにビニール袋を掛ける辺りなかなか慣れた感じです。袋は洋服屋で入れてくれる袋で中身は見えなかったのですが、お兄ちゃんの取りだした物とはなんと文庫本。湯船に浸かりながら熱心に読み入っています。少しのぼせたら浴槽の淵に腰掛けまた読む。少し冷めたらお湯に浸かってまた読む。この光景を見たのは秋のこと。読書の秋、秋の夜長はお風呂屋さんで更けていくのでした。
 最後に北区のMというお風呂屋さんでのこと。このお風呂屋さんには露天風呂があるのですが、扉を開け露天風呂に行くとなんとおじさんがうつ伏せにお風呂に浮いているのです。しかも微動だにしていません。私の頭によぎったのは、心筋梗塞で溺死か!人を呼ばなくては!どうしよう!それからの数秒間はとてつもなく長く感じました。実際には10秒もなかったと思いますが、今ならまだ助かるかも!意を決して体を叩いてみよう!と、片足を湯船に浸けたところ「ぶふぁ〜」そう、おじさんはリラックスのために、体の力を抜いて湯船に浮かんでいたのでした。こっちの心臓は、バクバク。なにが「ぶふぁ〜」や、こっちが倒れるっちゅうねん。
 お風呂の利用の仕方も人様々ですが、周りのお客さんに迷惑の掛からない範囲で楽しみましょうね。

(2002.12.06)

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第1話:いいお風呂屋さん

 一口にいいお風呂屋さんと言っても、入った人それぞれ感じ方が違うわけで、設備が最新なお風呂屋さんをいいという人もいれば、風情のある昔ながらのお風呂屋さんをいいと思う人もいるでしょう。また、深夜までやっていたり朝風呂があるお風呂屋さんをいいと思う人もいるでしょう。
 私がいいと思ったお風呂屋さんを現在までで思い返してみると、総じて設備の整ったお風呂屋さんはいいと思うところが多かったのも事実ですが、半面昔ながらのお風呂屋さんでもいいと思うところが数多くありました。いいと思ったお風呂屋さんの共通する点を考えてみると、期待以上のものを感じたり、新しい発見があったお風呂屋さんの様な気がします。
 お風呂屋さん巡りを始めて10数軒目に入った銀閣寺・京大周辺で紹介している「白川温泉」。ここは、いいと思いました。サウナもなければ、ジェットバスもない設備的には劣っているお風呂屋さんです。白川温泉の近所は以前友達が下宿していたりして、よくうろうろしていた場所でした。でも、懐かしさを感じさせる外観や内装は私に取っては新しい発見でした。また、静かな浴室はのんびり湯船に浸かりながら、リラックスするのにいい環境でした。行った時点で、白川温泉について何の予備知識もない状態で行ったのも良かったのかも知れません。
 また、30軒を過ぎた頃に入った西陣の「笠の湯」。ここは、露天風呂など設備の整ったお風呂屋さんで、良くできたお風呂屋さんだと思いました。狭いながらもスペースをうまく活用して、今後こういう形のお風呂屋さんが増えるのだろうなと感じさせるような期待以上のお風呂屋さんでした。
 同じ西陣にある「長者湯」。ここは、もしかしたら私の中で現在のbest of sento in Kyotoかも知れません。京都初心者の方を銭湯に連れて行くとしたら、多分「船岡温泉」に連れて行くでしょうが、何度か訪れて京都のお風呂屋さんにも何軒か入ったことのある方なら、私は「長者湯」に連れて行きます。サウナはなくこぢんまりしたお風呂屋さんですが、脱衣場のタイル絵や欄間、小さいながらも手入れされた庭、上品な外観など品位のあるお風呂屋さんだと思います。
 まだ京都市内のお風呂屋さんの1/3ぐらいしか回っていませんので、まだまだ素晴らしいお風呂屋さんは数多くあると思います。これを読んでくださっている方と私の思ういいお風呂屋さんには、ずれがあるかも知れませんがそれは良しとして、このホームページで自分だけののbest of sento in Kyotoを発見してくだされば嬉しく思います。 
 最後になりますが、いいお風呂屋さんの逆、悪いお風呂屋さんは今までで一軒も無かったことを付け加えておきます。

(2002.11.29)

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