桜湯
2010.12.20廃業

中京区新京極三条下る桜ノ町406の4 営業時間:10:00〜23:00 定休日:金曜日
地下鉄「市役所前」下車 徒歩5分

詳しい地図を見る

入湯日:2002/08/25
    2003/09/06

 京都の繁華街、寺町通りと新京極に挟まれるように桜湯はあります。何を隠そう、生まれて初めて行った銭湯が桜湯です。幼稚園の頃でした。イメージとしては薄暗い感じでそんなに広くなっかったように記憶しています。小さい頃の想い出の場所に行ってそこが思っていたよりずっと狭かったということは、往々にしてあることですが思っていたより広かった・・・。
 桜湯は入り口にまず券売機があります。繁華街にあるということもあり手ぶらのお客さん用に貸しタオルや石鹸がセットになったボタンもあります。券を買って入り口を入ると普通に番台があります。脱衣場は広々とした感じで、床はフローリング。ロッカーは白い木製ですが、最上段は洗面器のキープ場所になっており、かなりの数の洗面器がキープされていました。風呂敷に包んだものもちらほら見られます。
 浴室も結構な広さで、記憶では以前はサウナはなかったんですが、奥にありました。ここのサウナはやたら暑いんですが、飲んだあとで入るようなことがあればかなり注意が必要です。初銭湯体験の記憶に、洗い場にイスがなかった記憶もあるんですがそれはそのままでした。洗い場はざっと20以上あるように見えますが、シャワーが付いてるのはほんの僅かです。このシャワーもイスがないせいかやたら付いている位置が高く使い勝手はあまりよくありません。
 浴槽は入って左手に深風呂、浅風呂(一部がジェット)、渦巻き湯になっています。通称「人間洗濯機」を見るのはこれで2軒目。こんな身近にあったとは。入って右側には、洗い場が少しあり、右側に突き出すように電気風呂があります。この電気風呂、工夫されており一部が浅風呂、一部が深風呂になっており、さらに深風呂の方は一部が腰掛け状になっており半身浴ができる様になっています。電気風呂の奥は、壁を隔てて、水風呂とシャワーブースのコーナーになっています。
 桜湯の見どころは、浴場に入ると目に飛び込んでくるタイル絵。モザイクのものではなく、タイルに直接絵を描いたもの。サウナの入り口を挟んで2つありますがそれぞれはかなりの大きさです。絵は阿蘇山らしき高原に羊や牛が放牧されている様子が描かれています。そういえば、遠い記憶の中にこの絵を見たような、見てないような・・・。朝風呂もやっているようだし利用価値有りの1軒です。ところでここの地下1階はサウナチェリーという店なんですが、棲み分けは出来てるんでしょうか?
 追記:桜湯さんのサウナは別料金(30円)なんですが、知らずにタダで入ってしまいました。この場を借りてお詫びします。


 2010年11月上旬に、桜湯が12月で廃業との情報を某銭湯で聞き再入浴してきました。実は、2010年の初夏ぐらいにこちらの桜湯さんが廃業するかもという噂があったのですが、現実になってしまいました。やはり火のないところに煙はたたないということでしょうか。
 
 桜湯で追記しておくべきことに、鏡広告があります。錦市場の漬物屋「高倉屋」店主にして、日本初の酒場ライターを自称しておられるバッキー・イノウエさんが、裏寺の名酒場「たつみ」2階で営業されている飲み屋「百練」の鏡広告が、洗面所と浴室内にあるのですが、浴室内では木屋町の焼肉屋「アジェ」と、朝日会館裏の「片山洋品店」、木屋町のバー「アルペジオ」などと並んでいます。月刊ミーツ・リージョナルのバッキーさんの連載を読めば、しばしば登場するお店たちで、仲間数人で銭湯に鏡広告を出されたことが想像できます。洗面所の百練の広告には「あなたが行かなくてもあかりはいつも灯っている」(だったと思う)というフレーズが書き込まれています。バッキーさんのフレーズ好きはよく知られているところで、鏡に書かれている文句は飲み屋に対してよく使われているフレーズですが、お風呂屋さんにも当てはまるところが泣かせます。

 あと、追記しておかねばならないのが、桜湯の地下にある「サウナチェリー」です。こちらのサウナも同時に廃業となるのですが、閉まる前に入っておかねばと思い行っていました。
 廃業の話を聞いた頃、錦市場近くの錦湯で、錦湯の常連さんとサウナチェリーの話になり、「あそこの電気風呂は京都で一番強いんとちゃうか」「昔、800円で生ビール(小)がサービスで付いててたまに行ってた」という話を聞き、さらに入っておかねばと思ったのでした。
 京都のサウナは、三条河原町東入の「オーロラ」や、祇園の「ルーマプラザ」、廃業されましたが河原町四条下るにあった南大門などには入ったことがあったのですが、それらと比較すると、サウナチェリーは限りなく、銭湯とサウナの中間といった感じです。
 まず入口で靴を脱ぎますが、下駄箱は木札が鍵の銭湯の下駄箱ですし、脱衣場のロッカーも銭湯にあるのと同じものです。入ったところにカウンターの飲食コーナーが設けられていますが、私が入った11月下旬にはすでに営業されている様子はありませんでした。飲食コーナーから脱衣場に入るところに番台のようなフロントがあり、こちらで料金800円を払うと、黄色い貸しタオル2枚と、カミソリを所望する方には使い捨てのカミソリがもらえます。脱衣場はフローリングの空間で、新聞数紙が置かれた休憩コーナーが2カ所、ロッカーの上にアナログテレビ、柱周りにドライヤーコーナーがあります。隣接してテレビとマッサージ器の置かれた8畳程度の休憩室もありました。
 浴室に入ると、まず眼に飛び込んでくるのは石庭を描いたタイル絵と、そのタイル絵の続きに組まれた岩風呂です。岩のてっぺんには、滝登りをイメージして全長1メートル近い鯉のオブジェが付いています。この鯉は、島原の吾妻湯さんの水風呂にあるものとおそらく同じものです。さらに岩組を挟んで、渡月橋のタイル絵があるのですが、その絵の一部には、御所車が描かれていて、これは既に廃業された壬生の玉の湯さんにあるタイル絵と同じモチーフで同じ方が描いたことは明らかです。桜湯は玉の湯さんと同じ経営ですので、同時期に付けられたのかもしれません。玉の湯さんとの共通点でいえば、サウナチェリー入口の自動ドアに描かれているニコちゃんのようなマークは、玉の湯さんの看板にも付いていましたし、見る人が見れば同じ経営というのがパッと分かります。
 浴室に入って右手奥には、5人程度入れる低温サウナ室があり、中に石灯籠が建っているのに驚かされます。そのサウナの前には、「ここにもあったか!」の人間洗濯機、その横にはジェット風呂があります。広い主浴槽の中に半身浴が出来るように、陶器の腰掛けが沈められているのも面白い仕掛けです。浴槽は、ほかに叩きタイプの結構強力な電気風呂(ほかであまり入ってないので京都最強かは不明)、上からシャワーをかけ流していたり、ドボドボ水が流れ込むパイプが2カ所ある広い水風呂という構成です。水風呂の一角にも曲がり家のような石灯籠が一基あります。水風呂の脇には、テレビ付きで10人ぐらいは余裕で入れる、サウナの機械が2つ付いている高温サウナ室もあります。
 常々、桜湯は風呂椅子がないことに不満を感じていたのですが、こちらにはちゃんと風呂椅子がありました。しかし、サウナで主流の大きなものではなく、緑色の銭湯仕様というのがこれまた、銭湯以上サウナ未満です。洗面器はなぜかケロリンの関東型(関西よりひとまわり大きい)でした。いまやスーパー銭湯でも液体のボディソープとシャンプーは当たり前ですが、各カランの前に固形石鹸が置かれているのも、かなり昭和的です。シャンプーは、トニックシャンプーと、普通のものと2種類置かれていました。
 夜は10時半までの営業で、私は9時半頃入りに行ったのですが、相客は3人程度でかなり寂しいものでしたが、個人的には話のタネにかなり楽しめました。
 思うに、桜湯との値段の差をいかに出すかというところに苦心されているのが伝わって来ますし、桜湯よりもサウナチェリーの方に主眼を置けば、桜湯の風呂椅子がないこともなんとなく納得行くような気がします。ただ、この2店の間では納得がいっても、ほかの銭湯やスーパー銭湯と比較すれば、まったく納得は行かないのですが。
(2010年11月26日追記:サウナチェリー入浴11月23日)




 桜湯のすぐ近く御幸町(ごこまち)三条の角には、元毎日新聞京都支局だった1928ビルがあります。名前の通り1928年、昭和3年建造のレトロビルです。現在は、ギャラリーやカフェが入るテナントビルとして再生しています。また、NPO によるサイクルタクシー(ドイツ製のおしゃれな輪タク)の基地にもなっています。営業地区は、御幸町、四条、烏丸、御池に囲まれたエリアで一回大人300円でエリア内ならどこでも行ってくれます。営業時間は13:00〜17:00。

*その後、サイクルタクシー(ベロタクシー)の基地は、新風館のみとなりました。

<メインページに戻る> | <河原町・四条周辺に戻る>

 


明治湯
2015.1.31廃業

中京区麩屋町通蛸薬師上る坂井町473 営業時間:15:30〜23:00 定休日:土曜日
2014年5月現在、営業時間14:30〜21:30、水・土定休で営業されています
阪急「河原町」下車 徒歩5分

詳しい地図を見る

入湯日:2002/10/03 22:00
    1995年頃一度あり

 

 明治湯に今回行ったら暖簾が左の写真と変わってました。秋らしく赤を基調にした湯の文字が染め抜かれた物でした。暖簾も十月で衣替えなのでしょうか。
 明治湯でまずびっくりするのが自動ドア。暖簾をくっぐたところの何の変哲もない引き戸ですが、実は自動ドアなのです。中に入ると、靴を脱ぐ前にお金を払う古いタイプのつくりで、自動ドアが開いた瞬間脱衣場が見渡せます(笑)。番台には、千円で来られても五百円で来られてもいいように、おつりの山が3つすでに出来ていました。
 脱衣場は、籐籠に、籐筵。屋号の入った柳行李もいくつかロッカーの上にあります。テレビはなくラジオがスピーカーから流れています。冷蔵庫はフジ(地場メーカー)のものでしょうが、FUJIのロゴのところに価格表が貼られていて見えなくなっています。浴室入り口の洗面台の横に、縦タイル3枚、横4枚分の大きさの鯉が二匹泳いでいるタイル絵がありました。
 浴室はそれほど広くなくシンプルな造りです。浴槽は、入って左手に扇形の水風呂、右側の女湯との壁に沿ってに直径1.5mぐらいの円形の深風呂、それに続いて浅風呂(ジェット2本付き)、薬用健康風呂(泡風呂)の構成です。左の壁と、奥の壁にカランが並んでいます。深風呂の湯口はリスが木の実を持っている物、浅風呂は少年が鯉にまたがっている物でした。水風呂は、もちろんライオンです。深風呂の中の段のタイル使いは不揃いの楕円形タイルを敷き詰めた物で時代を感じさせます。湯温は深風呂、浅風呂共高めでみなさんうめてから入ってました。客層は予想に反して結構若者が多かったです。時間に依るのかな。
 若者が多いと書いたものの、明治湯に行ったとき、脱衣場にお客さんは一人いたのですが、浴室内は私一人きり。しばらく貸し切りでした。以前なら「ラッキー!」と思っていたのですが、最近では「だいじょうぶかなあ、このお風呂屋さん・・・」と不安になってきます。しかし出る頃には親子連れなど常連さんが続々来られ「こんばんは〜」の挨拶。ホッとして帰ってきたのでした。

 明治湯のある麩屋町通りの蛸薬師から六角通りの西側は児童公園と元生祥(セイショウ)小学校、生祥幼稚園、明治湯があるのみです。生祥小学校は、京都の中心部にあるいわゆる番組小学校のひとつで明治5年の学制公布の前、明治2年に番組(今で言う自治会)が番組ごとに64校作った小学校のうちの一校です。現在は、少子化に伴いこの学区は御所南小学校と高倉小学校の新設された2校に付近の小学校と共に統合されました。建物は、将来用地として現在もそのまま残っています。番組小学校については、御幸町高辻上るの元開智小学校跡が「学校歴史博物館」として公開されています。
 また明治湯の向かいには、革島外科というお医者さんがありますが、昭和の初期に建てられた洋館は蔦が絡まり趣のある佇まいです。


<メインページに戻る> | <河原町・四条周辺に戻る>


錦湯

中京区堺町通錦小路下ル八百屋町535 営業時間:16:00〜24:00 定休日:月曜日
阪急「烏丸」・地下鉄「四条」下車 徒歩6分

詳しい地図を見る

入湯日:2002/06/09
    2002/09/07

 言わずとしれた「京の台所」錦市場の中程、堺町通りを南に行くと左手に錦湯があります。建物は切子格子の美しい味のある佇まいです。暖簾をくぐりガラスの入った引き戸を開けるといきなり番台、脱衣場の古いタイプの作りです。脱衣場には籐筵がひかれカゴもほとんどが柳行李です。さすが錦に近いだけあって屋号の入った行李が木製のロッカーの上に並んでいます。浴室は突き当たりに、健康風呂(泡風呂)、電気風呂、浅風呂(ジェットが2本)女湯との壁に沿って深風呂、水風呂があります。水風呂はお決まりのライオンの口から水が出てますし、浅風呂の方は少年がまたがった鯉の口からお湯が出ています。お湯は全体的に熱めでみんな水でうめて利用してました。脱衣場には新聞、雑誌、漫画類も充実していてゆっくり出来ます。
 この銭湯、最近ではライブや落語会をやったり企画ものをたまにやっているそうです。


 錦湯さんでは、いろいろと企画をされているのですが、今回は「絞りゆかた展」を覗いて来ました。
 女湯側の脱衣場が、展示即売会場になっており、所狭しと浴衣が並んでいました。男物も結構揃っており、定価8〜9万円ぐらいの反物が、だいたい半値ぐらいで販売されていました。2004年で2回目の開催と言うことでしたが、祇園祭に仕立てが間に合うよう、6月上旬の恒例企画として考えて居られるようです。
 良ければ来年にでも・・・。写真を添付しておきます。(2004.6.6)


 今回覗いて来たのは「再発見・京都アートプロジェクト展」。まち中の施設を借りて、大阪成蹊大学芸術学部情報デザイン領域2年生と成安造形大学グラフィックデザインクラス2年生の学生さんが、アートを展開しようという企画です。
 錦湯さんでは、成安造形大の学生さんが「Tosenbo」と銘うち、男湯側の脱衣場と浴室を使って「蜂」をモチーフに展示をされています。なぜ「蜂」なのかですが、メディアや京都に持ち込まれた異文化の象徴として、古い建築物に巣をつくるといわれる「蜂」を取り上げ、京都の象徴として錦湯という展示会場を選んだとのこと。現状の京都を見直すきっかけになればとのことでした。
 まあ説明はそこそこにしまして、展示内容は結構大がかりで面白かったですよ。ストローを束ねてバーナーで焼き、蜂の巣をイメージしたオブジェがいろんなところに取り付けられているのと、浴室ではプロジェクターを使って奥の壁に蜂蜜が流れ落ちる様子を流してあります。水風呂のライオンから流れる水音がBGMになっているのも面白い演出です。
 錦湯さんの前では、同時に古本市も開かれていたのですが、そこでヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」を発見。思わずいのきんさんに電話してしまいました(いのきんさんは、ウェブサイト「
ホモ・ルーデンス」の管理人)。いのきんさんはお持ちとのことで、私が購入。近々読みたいと思います。(ちなみに「ホモ・ルーデンス」とは遊戯的人間の意味です)
(この企画展は2005年2月10日〜14日に開催。2月10日に追記)


 2005年も曳き手ボランティアとして祇園祭に参加したのでありますが、3年目にして長刀鉾にあたるという幸運。なぜ錦湯の周辺案内に書くかと言えば、錦湯は長刀鉾ととっても関係が深いのです。常連さんの中に長刀鉾の囃子方がおられたり、裏方さんがいたり、神輿を担ぐ人がいたり(錦神輿会は西御座です)と祇園祭に関わっていない人の方が少ないぐらい。宵山の夜には、毎年錦湯目指して東京からもお客さんがくるというのも、まぎれもない事実です。今年はそんなおこぼれを少し頂き、私も祭りにどっぷりと浸からせてもらいました。
 長刀鉾の鉾曳きの報告も少々。昨年は岩戸山を曳かせてもらったのですが、約30人で曳きました。かなり重い印象だったのですが、今年の長刀鉾の曳き手は約50人。楽勝だと思うでしょ? ところが長刀鉾は上に乗る人数が半端じゃないんです。巡行スタート時に、鉾は烏丸四条まで下げられはしご段を掛けて囃子方が乗り込むのですが、その数60人以上。屋根方などを入れるとおそらく70人以上乗っているような・・・。ひとり60キロ平均としても人だけで4トン以上計算になります。全員乗れるのかと見ているとこれが乗れてしまうんですねえ。でも中心部の人はみんな立ったまんまです。
 さて巡行スタート後の見せ場のひとつに、お稚児さんの注連縄切りがありますが、曳き手は正面の一番いい場所から見させてもらっているようなもの。密かに生でみたのはこれが初めてでした。役得、役得。天気も曇り空で、曳き手にとっては好条件(カンカン照りだとバテバテになるので)。しかし・・・長刀鉾は言わずとしてた先頭の鉾で、前には1基の山鉾もいないわけですが、これが意外としんどいのです。というのも他の山鉾は辻回しなどで前が詰まればその間曳き手は休憩となるのですが、長刀鉾にはその休憩がないのです。御池通は密かに河原町から烏丸に向かって緩やかに登っているのですが、富小路あたりから新町の手前までほぼノンストップ。ひえ〜っ。とはいえその疲れも吹き飛ぶのが新町の巡行風景。軒先ぎりぎりに巡行する様子は祭り情緒溢れていいものです。
 巡行後、錦湯につかり、風呂上がりに飲んだビールの旨いこと旨いこと。さて来年はどの山鉾になりますことやら。
(2005.7.22追記)

 山鉾巡行と合わせ、翌日18日に行われた「湯上がり艶々☆なるせ女剣劇団 in 錦湯」も報告しておきましょう。
 なるせ女剣劇団は、鵜飼正樹京都文教大学助教授(3月に行われた京都府主催「銭湯へ行こう」シンポジウムのコーディネーターです)が、京都芸術短期大学(現造形芸術大学)で教鞭をとっておられたときに顧問をされていた「桃色女剣劇団」のOGが中心になり結成された劇団です。今回京都市内での単独公演は初めてということでしたが、チケットは公演1週間前にすでにソールドアウト。鵜飼先生から大入り袋も出されたのでした。
 さて、公演ですが第1部は「お芝居『弁天小僧〜錦湯の一夜〜』」。見せ場盛りだくさんのチャンバラ時代劇を、満員の客席で堪能しました。第2部はうってかわって「艶姿舞踊歌謡ショー」。座長なるせ京子さんの歌いながら客席を握手してまわるパフォーマンスで場が盛り上がったところで、南條まさき(鵜飼先生の芸名)オンステージ。ステージにはおひねりの雨が降り、約2時間半の公演は大成功の内にお開きとなったのでありました。
 なるせ京子さんは、四条縄手上る(一銭洋食の向かい)で「ちゃんばら屋」という居酒屋もされていますので、興味のある方はどうぞ。「
なるせ女剣劇団」はサイトもありますのでご参考に。
(2005.7.22追記)





 錦湯のある堺町通り。錦の角には大好きなお店が向かい合ってます。一軒は、藤野豆腐店。本店は西陣の方にありますが、こちらでも購入出来ます。豆乳ソフトクリームや豆乳ドーナツなどがあります。もう一軒は生麩の麩嘉。こちらも本店は府庁の方ですが、こちらでも購入できます。笹にくるんだ麩まんじゅうが有名なお店です。
 また錦湯から三筋北にいくと
イノダコーヒの本店があります。数年前火事になり建て替えられましたが、奥にある別棟の洋館は火事を間逃れ健在です。入り口で「別館の席空いてますか」と聞けば案内してもらえます。本館の方もいいですが、別館の方は木の床に、丸テーブル。テーブルには白のテーブルクロス。イスには深紅のビロードカバーといい雰囲気です。アールのあるテラス風の作りは、冬の昼下がりなど日が差し込み気持ちのいい場所です。

<メインページに戻る> | <河原町・四条周辺に戻る>


 

都湯
2003/2/28廃業

中京区四条通室町西入上ル観音堂町466 営業時間:15:30〜23:30 定休日:日曜日
地下鉄「四条」、阪急電車「烏丸」下車 徒歩3分

詳しい地図を見る

入湯日:2002/10/01 22:30

 四条烏丸から徒歩3分。四条通りを西に行き、関西銀行の先の細い路地を北に入ると「サウナ都湯」の看板が見えてきます。看板には酵素温泉の文字もあります。
 オフィス街からちょっと入っただけなのに木造2階建ての外観はかなりレトロ。暖簾をくぐった下駄箱スペースの上部には「御殿方」「御婦人」の札が掛かっています。脱衣場への引き戸は、手を引っかけるところがすり減っているのですが、そのすり減り方が半端じゃない。あと何年の命かって感じです。
 引き戸を開けると左が番台ですが、おばあちゃんは、番台には座らず番台前に置いた足継ぎに腰掛けておられました。一瞬誰もいないのかと思いました(笑)。脱衣場は、木製ロッカーは言うに及ばず柳行李、籐筵の基本アイテムに加え黒光りした高い天井には、大型のつり下げ型扇風機、さらには昔のむき出しの電気配線を支える碍子(がいし)の跡まで残っています。また、ロッカーの上方床から3メートル近くのところにタオルを掛けるための棒があり5センチおきぐらいに釘が打たれ結構な数のタオルが掛かっています。さらによく見ると釘のところに漢数字でナンバリングがあるではないですか。当然手では届かないので専用の棒がロッカーに立てかけてあります。この雰囲気の中にも見るべき物があります。一つは浴場側の上部のタイル絵。モザイクではなくタイルに描かれたものです。美保の松原風の富士山をバックに海には帆掛け船が数艘、右の方には藁葺きの人家、左手には松並木というものです。女湯側は、日本三景の一つに数えられる天橋立でした。もう一つは欄間。女湯との仕切の上部に欄間がはまっています。しかし残念ながら浴場組合のポスターなどがぺたぺた貼られほとんど見えません。
 浴場内はそこそこ広く、入って右側にカラン列、奥に酵素風呂(ジェット3箇所、泡風呂)、電気風呂、サウナ、水風呂があり、女湯との壁側に浅風呂、深風呂があります。サウナは横長で6,7人は入れるでしょうか、テレビが端にあるのでみんな左を向いています。売りものの酵素風呂は、黄緑色のお湯で匂いはほとんどなしです。説明書きのプレートがあるのですが、酵素の文字の赤い色が完全に褪せて空白になっておりクイズのようです。水風呂はお決まりのライオンの口から水が出ていますが、釉薬の加減で深緑と群青色のまだら顔です。しかし、それなりに凛々しい顔です。浅風呂、深風呂の間のある湯口は女性が左手で子供を抱き、膝に置いた瓶から湯が出ているものでした。
 都湯の客層はほとんどがおじいちゃん。お馴染みらしくそこいらで「こんばんは」の挨拶です。町で見たら普通のおじいちゃんでしょうが、ここで見ると室町の旦那に見えるあたり都湯の力でしょうか。帰りしなに都湯の隣を見たら、「麻雀みやこ」「和風酒房みやこ」とみやこだらけではありませんか。もしかして番台のおばあちゃんは、みやこコンツェルンの大奥様?なワケないなと都湯を後にしました。

 都湯のあるこの辺りは祇園祭の山鉾町のど真ん中。都湯の路地を四条に出た向かい側はちょうど月鉾の建つ辺りです。町家好きの方にもたまらない辺りでしょう。京都を代表する表屋造り(商売用の形式)の町家である吉田家や杉本家もすぐ近くです。しかしこれらは祇園祭の時でもなければ見学できません。気軽に町家を見学できる施設として今年(2002)春に「四条京町屋(京都市伝統産業振興館)」が都湯のすぐ近く、四条西洞院東入にオープンしました。こちらは入館無料で、ウェルカムです。町家を改装した館内には、伏見の地酒も楽しめる「町家茶房」(bar time17:00〜)や伝統工芸品を販売する「町家工房」があり、もちろん建築物としての町家の見学も可能です。水曜休館、11:00-21:00。

とここで終わっては面白くないので・・・もうひとつ地域密着情報を。
 四条京町家のすぐ近くの交差点が四条西洞院。この交差点の北西角に京染会館があります。京都の和装産業を大別すると西陣織に代表される「織」と京友禅に代表される「染」に分けられますが、その染め物関係の方々のためのビルで昭和12年竣工のビルです。数年前までは某銀行が入ってましたが、ビッグバンの波に飲み込まれてしまいました。現在は京都で初めて24時間営業を始めたスーパー「フレスコ」が入っています。店内はそんなに広くないですが、生鮮食料品はもちろん惣菜関係が充実しています。京都で夜中にスーパーに行きたくなったら思い出してください。(誰もいないな・・)以上地域密着情報でした。

 

<メインページに戻る> | <河原町・四条周辺に戻る>

 


 

薬師湯
2008.11.23廃業

下京区不明門通松原上ル因幡堂町699  営業時間:15:30〜23:40 定休日:土曜日
地下鉄「四条」、阪急電車「烏丸」下車 徒歩5分

詳しい地図を見る

入湯日:2002/11/21 23:00
    2003/12/17 22:30

 烏丸高辻近くの因幡薬師前にある薬師湯の紹介です。薬師湯は、本当に因幡薬師の目の前にある門前銭湯です。このお風呂屋さん、京都の普通のお風呂屋さんとはいろいろと違っていて面白いお風呂屋さんでした。まず入口の取っ手のある引き戸を開けると下駄箱スペースで、その先のドアは自動ドアです。自動ドアを開けると番台なのですが、いわゆる番台は取り除かれ、代わりに男女壁にくっつく形で机があり、ご主人がノートパソコンをいじっておられました。
 脱衣場は、やや縦長の造りですがここもまた個性的です。ロッカーの並びに冷蔵庫がありその上は物販の棚になっています。シャンプーなどに混じって、おつまみ系のお菓子まで売っています。また、入口側にはアイスクリーム用の冷凍庫もあり物販は充実しています。女湯との壁側は、テーブルと棚を寝かせた様なベンチがボックス状に配置されていて、週刊誌やスポーツ新聞が読めるようになっています。さらにBGMに私の行った時は民謡が掛かっていました。しかも天井からミラーボール状のスピーカーがあり、そこから音楽が流れるようになっていて、このBGMは浴室内にも流れています。ほかの脱衣場アイテムとしては、常連さんのカラフルなタオルが天井近くに掛かっていたり、体重計の横に通販で売っていたステッパーマシンが置いてあったりします。
 浴室の方も個性的です。まず、サウナは有料で脱衣場のタイルスペースから入るようになっています。バスタオルを腰に巻いて入るのがルールで貸しバスタオル込みで+100円、バスタオル持参だと+50円で利用できます。
 浴室の脱衣場側のガラスも個性的で、ガラスに中国風の景色を入れたガラスが入っていました。
 浴室内は、女湯との壁に沿って半円形に近い形の浴槽があり、薬湯や深風呂、浅風呂に区切られています。特徴的なのはジェットクリーニング(ジゴク風呂)という人間洗濯機に近い浴槽で、楕円形の1/4が開いていてそこから浅風呂の方に水流が流れ出るようになっています。腰掛けた女性の膝に置かれた瓶から湯が出る湯口がジゴク風呂に注がれるようになっていますので、湯口→ジゴク風呂→浅風呂の流れです。男女壁は珍しく上半分くらいが、ガラスブロックなのですが、その下には鏡が取り付けられ、鏡広告の位置に「みんなのお風呂です。掛かり湯をして入りましょう」だの「BATH-VIBRATOR(超音波温浴装置)」だの注意書きや、お風呂の説明が書かれているのも一風変わっています。また、浴室奥に水風呂があるのですが、半分近くが寝湯状のスロープが付けてあり、枕の所からはちろちろと水が流れるようになっているのに加え、その横にある水専用のシャワーはタイル貼りの個室になっている辺りも初めて見る代物でした。カラン列の方も、カラン2カ所おきにフタ付きのゴミ箱が備えてあったり、固定シャワーは、カラン1カ所おきで設置されていたり今まで回った京都のお風呂屋さんの概念が崩れるお風呂屋さんでした。


 2回目の入湯です。前回印象深かった民謡は、今回は流れておらず代わりに番台上のテレビがついていました。ちなみにご主人は今回もノートパソコンを触っておられましたが、年賀状作製の真っ最中でした。
 前回と変わっていたのは、浴室の男女壁についている鏡です。前回の入浴記で書いていますが、以前は注意書きやお風呂の種類なんかを書いてあったのですが、その鏡が何も書いてないものに取り替えられていました。ジゴク風呂の名前が消えてしまったと・・・いうことです。
 前回書いていない様子としては、ご主人の座っている後ろにカセットテープの棚があり、100本以上のカセットが置いてあることや、浴室の天井が四角錐型で湯気抜きが大きいことなどなど。冷蔵庫の中にはビールもあるのですが、スーパードライに黒ラベル、エビスの黒まで揃っている充実ぶりでした。

 薬師湯の名前にもなっている因幡薬師堂(平等寺)ですが、その歴史は古く平安時代に遡り1003年に因幡国司であった橘行平により開山されたと伝えられ、来年平成15年はちょうど開山千年祭に当たります。写真を撮りに行った際、お寺の方が気安く声を掛けてくださり、歴代天皇との関係が深く厄よけの祈祷を行っていた話や、後白河上皇が頭痛平癒のため因幡薬師に参られた際、満願の夜に僧が夢枕に立ち頭痛も治ったのと合わせお告げがあり三十三間堂を建立された話や、千日回峰を終えた比叡山の阿闍梨さんが京都市中を回る際には、必ず因幡薬師に立ち寄るという話などいろいろとお話を聞かせてくださいました。現在の建物は、幕末の禁門の変で焼失後明治初年に再建されたものですが、境内の灯籠には再建時の寄進者として、高島屋の飯田新七、大丸の下村彦兵衛、京都西川の西川庄兵衛など当時の京都財界人の名前が並んでいます。ちなみに高島屋の創業地は、因幡薬師のすぐ近くの烏丸高辻下るで現在の京都銀行本店の辺りです。因幡薬師と同じく禁門の変で焼け落ちた東本願寺は、全国の末寺や檀家の力で再建されましたが、真言密教で基本的に檀家を持たない因幡薬師は京都の財界人によって再建されたのでした。天皇家との関係も深い因幡薬師ですが、再建までの時間的早さや財界から再建の費用が出たという話を聞くと、因幡薬師が町衆の信仰を集めていたことがよく分かります。しかしこの因幡薬師も、戦後経済的理由から本堂を閉ざしていた時期もあるそうですが、現在は毎月8日に境内で市民による「てづくり市」を開かれたりして地域に溶け込んだお寺になっています。来年(2003)5月の開山千年祭にはコンサートや狂言の上演も計画されているようですし、普段は見られない重要文化財の本尊薬師如来像の公開もあるそうです。
 おまけですが、夜薬師湯に行くと門前に「いなば」というおでんの屋台が出ています。その姿はまるで時代小説の世界にタイムスリップしたようで、雰囲気抜群ですので薬師湯には是非暗くなってから行ってみてください。

 

<メインページに戻る> | <河原町・四条周辺に戻る>

 

 

白山湯

下京区東中筋通松原上ル舟屋町665 営業時間:15:00〜24:00(日7:00〜) 定休日:土曜日
地下鉄「四条」、阪急電車「烏丸」下車 徒歩10分 または 市バス「西洞院松原」下車 徒歩2分

 

詳しい地図を見る

入湯日:2003/02/12 22:30

 西洞院高辻近くの白山湯です。新町六条に白山湯六条店がありますが、その本店といいますか高辻店といいますか、同じ系列のお店です。「天然名水」のコピーが同じです。店の造りも2軒とも似通っています。入ってフロントのある小さなロビーで牛乳やなんかを売っていたり、4人ほど座れるベンチがあったり、車のキーを預けるシステムになっていたり、まあ同じ白山湯なので当然といえば当然ですがね。
 ここの建物は、最近改装されたようで造りは昔の感じは全く残っていません。敢えて言えば浴室の湯気抜きぐらいです。脱衣場も明るく清潔な感じでシンプルな造りです。でも床の籐筵や四角い籐籠は紛れもない京都のお風呂屋さんです。ここの薬湯は日替わりになっているのですが、今週のメニューが壁に貼ってあります。この辺りも六条店との共通点です。出口近くに貸しロッカーがあったんですが、一般のロッカーの上にもいっぱい洗面器のキープがあり人気の程が窺えました。
 浴室も新しく明るい感じです。奥に10人近く入れるテレビ付きサウナと、ライオンの水吐きが上下2カ所についた天然名水の水風呂があります。六条店の水風呂も上下2カ所に水吐きが付いていましたし、気持ちよくオーバーフローさせたかけ流し状態は、見ているだけで気持ちいいですよ。他の浴槽は、水風呂の横に腰掛け型のジェットが2カ所あるこの日はじっこうの湯だった日替わりの薬湯、入口近くに電気風呂、そして真ん中に円形の深風呂と同じく円形の泡風呂付き浅風呂がくっついて8の字であります。壁のタイルは基本的に白色系なんですが所々にパステル調のタイルがあったり、市松模様になっていたりシンプルな中にも遊び心があります。六条店に行ったとき鏡広告の半分近くが、ここ高辻店の広告だったんですが、こちらの六条店の広告は2枚だけでした。脱衣場に戻るとき入口に足を流せるようにちょろちょろとお湯を流しているのも六条店と同じで、気の利いた造りです。。
 私が行ったのは10時半ぐらいだったんですが、結構な混雑ぶりで入口は靴がいっぱい並んでいましたし、浴室のカランも結構埋まっている状態でした。客層は圧倒的におじさんです(笑)。多分自転車もいっぱい並んでいましたし地元の人中心でしょう。意外とお風呂屋さん空白地帯なんですよねこの辺りは。地元民で活気溢れる白山湯でした。
 白山湯は、
ホームページがありますので浴室の様子などはそちらで見ることが出来ます。ちなみに駐車場は高辻通りにあります。


 2004年の祇園祭山鉾巡行もボランティアとして参加させてもらいました。その様子を少し書いておきたいと思います。
 なぜ白山湯さんの所に書くかって?それはですねえ、白山湯さんが定休日にも関わらず、いくつかのボランティア団体のためにお風呂を開放してくださったから。白山湯さんもボランティアです。ご主人の横山さん曰く「みなさんもボランティアやからねえ」というお言葉。なかなか出来ませんよ、こういうことは。粋な計らいの白山湯さんに感謝です。
 
 さて今年は昨年に続き、2回目の巡行ボランティア参加。岩戸山さんにお世話になりました。昨年は八幡山さんで、かき山だったのですが、今年は山といえども鉾と同じ形をした曳き山です。
(写真は巡行出発前の岩戸山と、13日に行われた曳きぞめの風景です)
 岩戸山さんの場合、30人ほどで曳くのですが、これが結構重いのです。巡行コースは、あまり起伏がないように思われるかもしれませんが、河原町通や、御池通の河原町から西向きは微妙に上り坂になっていて、曳いているとその微妙な坂が堪えます。辻回しも4回に分けて、やっとこさ回りました(車輪を痛めないように無理されないのもあるのですが)
 疲れましたが、いいこともたくさんありました。帰り道は新町通りを下がっていくのですが、狭い路を電柱や電線ぎりぎりに巡行していきます。これをずっとかぶりつきで見ている様な感じですから、最高です。たまに町家の格子を外し、即席の観覧席になっているお宅へちまきを投げ込んだり、昔ながらの祭り風情が随所に見られました。また、祭りを通して色々な方とお話も出来ましたし、これもなかなか出来ない体験でした。
 出発の時や、最後町内に戻るときは、町内の方がみなさん拍手で迎えてくださいますし、なかなか感動的です。こういう感覚が、また来年、また来年となっていくんでしょうね。
(2004.7.18追記)


 白山湯のある東中筋通りを北へ行くとすぐ高辻通りですが、高辻通りを渡った所に「道元禅師示寂の地」という石碑が建っています。道元禅師とは、曹洞宗の開祖で京都との繋がりでいえば、鎌倉時代比叡山へ出家した後、京都五山のひとつ建仁寺で栄西のもと禅を学び、晩年福井県に有名な永平寺を創建されたお坊さんです。その方の亡くなられた場所だそうです。京都は歴史が地層の様に積もっていて、町中にはほんとにいろんな遺跡がありますねえ。
 白山湯から北に行くのもいいですが、お勧めは南に行き松原通りをぶらぶらするコースです。松原通は、新町以西堀川を超えて大宮通まで松原京極の名前で商店街が続いています。気安い感じの商店街で、夕方4時から6時の間は、新町〜堀川間は歩行者天国になります。食料品を扱うお店が多く、テイクアウトのお好み焼き屋があったり、玉子をうずたかく積んでいる店があったり、食欲もそそられる商店街です。私の中で商店街の元気度というか、健在度みたいな指標の一つにおもちゃ屋があるかどうかというのがあるのですが、ここ松原京極では健在です。入ってはいませんが、町家を改装した感じのいい喫茶店なんかもありました。西洞院松原下がるには、平安時代に起源を持つ五條天満宮なんかもありますので、白山湯に行かれる際にはゆっくり散策してください。

 

<メインページに戻る> | <河原町・四条周辺に戻る>