旭湯

右京区西院東今田町9の1  営業時間:14:30〜24:30 定休日:金曜日
嵐電嵐山本線「西大路三条」下車 徒歩3分 または 市バス「西大路三条」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/05/01 22:30
    2005/02/24 23:00

 西大路六角の一筋南を西に入り、南側の路地の中にあるお風呂屋さんです。入り口は分かりにくいところにありますが、西大路にも看板があり、煙突も見えますのですぐ分かります。正面玄関は着物地のような柄の暖簾と、銘木板に旭湯と書かれた看板が目を引きます。玄関スペースの戸棚も、かな文字をデフォルメしたようなデザインでなかなかおしゃれな感じです。(入口と西大路側から見たところ→)
 玄関スペースから横手を見ると庭があり、そこに原水濾過器なる大きな機械が置かれていました。井戸水の機械ですね、これは。
 引き戸を開けると番台ですが、番台猫がイスの上で眠たそうにしていました。頭をなでると、うっとしそうに目を開け、また寝てしまいました(笑)。脱衣場はこぢんまりした感じですが、天井はベージュの格子の格天井で、それなりの風格はあります。番台上にも立派な神棚が飾られていました。神棚の向かいには、黒の招き猫が置かれていましたので、本物と上下でお客を迎えてくれます。招き猫の後ろには「千と千尋の神隠し」の油屋の前に千尋が立っている大きなジグソーパズルが飾られていました。また、浴室側の所には、永楽屋のマークが入った鬼の後ろ姿と、張り子の犬の上に歌舞伎役者が乗っている柄の手ぬぐいが額に入れて飾ってありました。インテリアにはなかなか凝られています。
 浴室は最近改装されたようで、昔の面影は全く残っていません。脱衣場側には6,7人サイズのテレビ付き遠赤サウナと、打たせ水が2カ所付いた水風呂があり、なかなか快適です。浴槽はT字型になっていて、奥の左側に日替わりの泡風呂付き薬湯、中央に冷水管枕付の泡風呂になった寝湯と足裏ふくらはぎ刺激付腰掛け型ジェット、右側が電気風呂になっています。T字の手前はボタン式のトルネード付深風呂になっています。薬湯は日替わりで、全国各地の温泉の入浴剤を入れておられるようで、曜日ごとに2湯ずつ書かれた表がありました。私の行った木曜日は、土湯と湯布院になっていました。しかし、お湯は黄緑で土湯だったのか湯布院だったのかは定かではありません(笑)。また、道後や指宿などメジャーな温泉地があるかと思えば、肘折や人吉などマイナーな所も数カ所入っているのが面白いところです。
 浴室の壁のタイルは、ほとんど白の新しいものですが、奥の壁にはアクセントで白鳥と蓮の花がプリントされたタイル絵が取り付けられていました。古い面影は残っていない浴室でしたが、なかなか感じのいい浴室でした。
 お風呂から上がると、番台猫が伸びをして、脱衣場をうろうろしだしましたが、相変わらず愛想のない態度はそのままででした(笑)。猫に愛想はありませんでしたが、暖簾やインテリアになかなか趣のある感じのいい旭湯さんでした。
 貸しタオル2本と石鹸、シャンプー、リンス、歯ブラシがセットになった超破格値100円の手ぶらセットもありましたので、是非行ってみてください。
 旭湯の猫は愛想なしでしたが、隣のお宅のワンちゃんは尻尾を振って遊んでくれました(笑←)。


 BBSに旭湯さんで「みかん風呂」をやっているという情報と、シャンプーやタオルなどを無料貸出ししておられるという情報が寄せられたので、久しぶりに入湯してきました。
 噂は真実! 今まで全国各地の温泉入浴剤が入っていた浴槽が行った日には「みかん風呂」になっていました。みかんは本物です!みかんが入った袋が浴槽にぶら下げてありました。いや〜、本物はいいですねえ。あとでご主人に訊くと、知り合いの中央市場に出入りされている方から、仕入れているのだとか。みかん以外にレモンやオレンジなど柑橘系でいろいろと回して行く予定だそうです。西大路通りの釜場の横に、実施日には案内が出ていますのでチェックしましょう。(仕入れの関係で続くときもあれば、途切れることもあるようですので、その辺りはご了解を)
 あと無料貸出しのサービスも確認してきました。貸して頂けるのは、タオル2本に石鹸、シャンプー、リンス。ポンプ式のタンクを用意されており、番台でお願いすれば貸し出してくださいます。結構若い方で、借りる方がおられるようです。もともと破格値の100円で手ぶらセットを用意されていたのですが、ポンプ式のシャンプーなどを共有するのに抵抗がなければ、こんなにお得なことはありませんよ!

 あっ、もうひとつ気になっていたことも確認してきました。旭湯さんの男湯には奥の壁に小さなドアがあって「TOILET」と書いてあるんです。多くのお風呂屋さんでは、脱衣場だったり、ちょっと裏手だったり、基本的に服を着て行く場所にトイレがあるのですが、ここは浴室の奥。裸でトイレに行くシステムです。ちょっと周りの方の目を気にしながらドアを開けてみるとタンクなどがあるスペースの奥に、小便器が見えました! 女湯はどうなっているのでしょう?気になるところです。
 
 風呂上がりにいろいろとお話しを伺っていたのですが、ご主人は西院・春日神社のお祭りで御輿を担いだりもしておられるそうです。なかなか地元密着という感じで、いいお話しでしょ。(2005.02.26追記)



 西大路通りを通っていていつも気になる店が、旭湯のちょっと南にあります。「民衆薬局」という看板を掲げた薬局なんですが、かなり時代掛かっています。店の前まで行くと残念ながら、店内は散らかって廃屋の様になっていました。

 旭湯の南側の通りを西に行くと、佐井通り(別名春日通り)の角に京都では有名なレオタニモトというバイク屋さんがあります。そこから佐井通りをしばらく南に行くと、西院小学校の南に赤い鳥居が見えてきます。春日神社という神社で、病気平癒の神社として有名です。二条駅〜壬生周辺の弥生湯で少し書きましたが、この辺りの地名の由来にもなっている離宮淳和院(西院)の鎮守として、奈良の春日大社から天長10(833)年に勧請したのが始まりだそうです。
 この神社、こういういい方は失礼ですが、いろいろと仕掛けがあります。まず、「疱瘡石」という霊石があります。平安時代淳和天皇の皇女が疱瘡を患ったとき、この石に平癒を祈願されたところ、石が代わりに疱瘡を生じ病が治ったという伝説の石です。常時見ることは出来ませんが毎月1、11、15日に祈祷を受ければ直接石に触れることが出来ます。(左:本殿、右:梛石と仁孝天皇御胞衣塚)
 また境内には、「梛(なぎ)石」という旅行安全、還来成就の御利益があるとされる神石や、安産や子授けを祈って白い子安石という石に願いを書き込み奉納する「仁孝天皇御胞衣(おなえ)塚」なども祀られています。また本殿の両脇には、春日神社らしく狛犬ならぬ雌雄の鹿が本殿を守っているので、その辺りも合わせて御覧下さい。

 

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黄金湯
2007.8閉店

右京区西院西三蔵町9  営業時間:15:00〜24:00 定休日:木曜日
阪急電車「西院」下車 徒歩2分 

 

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入湯日:2003/05/09 23:00

 阪急西院駅の裏手に広がる繁華街のはずれにあるお風呂屋さんです。繁華街にあると言っても、塀で囲われた中には、小さな庭があるなかなか風情のある佇まいです。
 玄関スペースから脱衣場に入ると、番台のおばちゃんが「いらっしゃいませ」の掛け声と共に、籐籠を逆さにしてポンポンと床ではたき、脱衣場の適当な場所に用意してくださいました。この昔ながらのサービス、なんか嬉しくなります。脱衣場の装飾品としては、番台上に中川鉄工所(浴場設備の会社)から贈られた「発展」と書かれた宝船の額が掛かっているのと、ロッカーの上には金閣寺の写真と美人画のジグソーパズルが飾られているのが目を引きます。道路側は、小さな庭に面して作りつけのベンチがあり、その横には地味に「体にやさしい入浴法」がA4の紙にプリントアウトされて貼られていました。そのベンチには新聞が置かれていたのですが、珍しく日経と朝日の2紙が置かれていました(共に朝日新聞販売店が配達)。週間誌も2冊だけですが置かれており、内1冊はアサヒ芸能でした。なんかこのお風呂屋さん「アサヒ」づいています(笑)。また、按摩機の横には、西院地区の詳細図が貼られているので、風呂上がりにジュースでも飲みながらゆっくりするのには事欠きません。あと、この脱衣場で特筆すべきは体重計です。寺岡のアナログ式のものですが、150kgまで計れます。ということはですねえ普通の100kgまでのものと比べると、2/3しか針が回らないんです。ちょっと痩せた気分になれますよ(笑)。
 浴室は、男女壁以外は昔ながらの白タイルで、奥と手前の壁の上の方は細かいタイル使いが見られ、ちょっと懐かしい感じの空間です。正面突き当たりには、渓谷の間を流れる筏流しのタイル絵があります。大きさは三六角タイルで縦8枚、横16枚分の大きさで、この手の手書きのものとしては大きい方です。しかし、なんかところどころ絵が剥げたようになっているんですよねえ。焼き付けだからあり得ないと思うんですが、黄土色1色が抜け落ちてる様な気がしました。
 お風呂の種類は、脱衣場側に4人サイズの演歌が掛かるサウナがあり、男女壁に沿って水風呂、深風呂、電気風呂とジェットを兼ねた浅風呂が並び、奥の壁側に酵素系と思われる白い入浴剤が入った泡風呂があるという構成です。泡風呂は、珍しく結構熱めでした。
 貸しタオル2本(バスタオルと普通のタオル)と石鹸、シャンプー、リンスがセットになった手ぶら入浴セットが入浴料込みで500円(料金改定後550円になっています)と書いてありましたので、西院で一杯飲む前にでもどうでしょうか。


 旭湯さんの周辺案内で書いた春日神社をメイン会場に、西院周辺の飲食店などがライブ会場となって開かれる「西院ミュージックフェスティバル」も2005年で数えること4回目。2005年は、黄金湯さんが新たに会場を提供されるということで見に行ってきました。(2005年は、7月30日〜31日の開催。黄金湯さんは30日のみ会場となりました)
 2005年は、18会場で100組のミュージシャンが参加するという規模。最初は40組ほどの参加ということでしたので、毎年規模も大きくなっているようです。嵐電の車両を借り切っての電車ライブも前年から行われ、好評のため今年は2日間に延長されました。
 さて黄金湯さんでのライブは、午後3時から1時間おきに4組が出演予定。3時前に着いた時には既に会場から人が溢れ大入り満員。男湯が会場となっていたのですが、目測60人ぐらいは入っていたように思います。どうしようかと思っていたらご主人が機転を利かせてくださり、男湯側の庭へ。窓を開けて庭からの見物と相成りました。1組目は「Littlefats&swingin'hotshot party」というバンドで、バイオリンやクラリネットに加え、アーリーアメリカンを思わせるたらいベースや、wash bord(洗濯板でリズムをとる楽器)を使った編成で、大盛り上がり。最後は客席全員が立ち上がり、アンコールまで起こったのでした。会場は全部入場無料で、投げ銭制なのですが、出口ではケロリン桶を投げ銭函にしてお兄さんが集めておられました(笑)
 しかし・・・暑い。。。1組目が終わった後、周辺案内の野口商店で氷を食べたので画像アップしておきます。目の細かい氷でおいしかったですよ。
 二組目「三井ぱんと大村はん」、三組目「THE TWINS」も満員の入りでしたが、そこまでで個人的に時間切れで退散。4組目の「白井啓太と松田一貴」の民謡が気になるところであります。おそらく今回のお客さんは、普段お風呂屋さんには足を運ばない人がほとんどだと思うので、こういうきっかけでお風呂屋さんにも興味を持ってもらえたらなあと思った西院ミュージックフェスティバルでありました。(2005.7.31追記)

2005年
西院ミュージックフェスティバル
7.30-7.31





 西院の案内ですが、ここは実際に体感しないといけない街でしょう。一番の繁華街は、西大路通りから1本西の四条通より南側ですが、ここは何て言うんでしょうか、独特の雰囲気が漂います。チェーンのお店もありますが、ほとんどが小さな飲食店で、雑多に軒を連ねています。その中にある立ち飲みの串カツ屋には、1本30円の看板が出ていたりします。この道を100mほど南に行けば、黄金湯がありますが、黄金湯の向かい側もこの雰囲気に溶け込んだ、いつ「じゃりン子チエ」が出てきてもおかしくないようなお好み焼き屋です。明るい内に黄金湯に行き、向かいのお好み焼き屋でビールでも引っかけた日にゃあ、演歌のひとつも口ずさんでいそうな感じです。
 多くは語りません。とりあえず勇気を持って出掛けましょう!
(↑黄金湯向かいのお好み焼き屋野口商店と西院の町並み)

 

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春日湯
2007.2月廃業

右京区西院坤町80 営業時間:16:00〜23:00 定休日:月曜日
阪急電車「西院」下車 徒歩7分 または 市バス「西院巽町」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/06/11 22:45

 四条西小路から裏通りを入っていったところにあるお風呂屋さんです。分かりにくいところにある上、看板も無いので行かれるときはしっかり場所を確認して行きましょう。私は発見できず、四条西小路にある交番に行き、周辺の住宅地図を見たのですが、春日湯の屋号はなく個人の名前で掲載されていました。
 建物の作りはこぢんまりした昔ながらのお風呂屋さんです。道に迷って私が暖簾をくぐったのが10時35分ぐらいでした。番台で何時までですかと聞くと11時までとのこと。急がねば!
 番台には茶とグレーの2匹の兄弟らしき猫がいて、お出迎えしてくれます。脱衣場は、手を加えておられますが、天井は白の格天井でなかなかお風呂屋さんらしい雰囲気を持っています。番台上には、福助が描かれた大入り額、その向かい側には戎さんの福笹も掛かっています。
 しかし、このお風呂屋さんで目に付くのは、何といっても浴室入口上部にあるタイル絵でしょう。手書きタイプのもので、三六角タイルで8×28枚分の大きさです。かなり横長の構図ですが、左側に滝、中央に筏流しをしている渓流が描かれています。女湯の方は光の加減と角度であまりよく見えなかったのですが、左側に滝があり似たような感じでした。ちょっと違ったのは女湯側のは中央に雪山が描かれていました。ポイントはこのタイル絵には、サインが入っている点です。右下の右から2枚目にHmatuneだと思うんですが筆記体でサインがありました。風呂上がりにご主人と女将さんに聞いたところ、今までサインに特に注意をされておられなかったようで、作者について詳しいことは分かりませんでした。年代としては昭和30年ぐらいのもののようです。女将さんによると、「これだけは昔のまま」とおっしゃってました。
 他のこの脱衣場の特徴としては、床が珍しく籐筵ではありません。フローリング風のシートになっています。
 浴室の方も京都としては珍しい浴槽の配置で、奥の壁に沿って泡風呂付きの薬湯、ジェットと泡風呂付きの浅風呂、深風呂が並んでいます。俗にいう東京型の配置です。私が入って5分ほどしたときに、モーター音が止み、泡風呂、ジェット系が全部止まったので全て機能していたか定かでは無いのですが、浅風呂のジェットは4カ所あり背中一カ所、横から3カ所みたいな感じで配置されていました。電気は消えていましたが、浅風呂にはネオンの装置もありました。
 湯口は深風呂の方に付いており、腰掛けた女性の膝にある瓶からお湯が出るタイプのものですした。
 カランは浴室の両サイドと中央に島カランがある配置です。脱衣場側には、脱衣場側にせり出す形で、3人ほど入れるオレンジと黄色のカラフルなタイル張りのスチームサウナもあります。逆サイドには水風呂もあるんですが、この水風呂に付いているライオンの水吐き、かわいそうに鼻のところが欠けていました。
 あまりじっくり観察する暇もなく脱衣場に出ると10時50分過ぎ。宝飲料のアイス型冷蔵庫にお風呂屋さんドリンクの姿もちらほらありましたが、今日はなしと言うことでお風呂屋さんを後にしました。
 路地裏にあるちいさなお風呂屋さんですが、アットホームなお風呂でした。

 春日湯さんのある町名ですが、西院坤町といいます。正確な読み方は「ひつじさるちょう」です。「坤」の意味は、方位学の「ひつじさる」で南西の方角を表します。なにか曰くありげな町名です。それと関係あるかは分かりませんが、春日湯さんの前の道は車一台がやっと通れるぐらいの道幅しかないのに、すこし東に行ったところには、虫籠窓のある広い立派なお宅があります。表札を見ると○○四郎右衛門(○○は普通の名字です)という方のお宅でした。町名といい、四郎右衛門さんといいなにか歴史が秘められているようなエリアです。
 もう一つ歴史を感じるネタで、西小路四条にある四条中学の西側に野々宮神社という神社があります。現在は無人の小さな神社ですが、由緒書きを見てみますと、野々宮とは平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が、伊勢へ赴くまでの間心身を清めるために滞在した潔斎所(聖地)のことで、全国にある野々宮の名称はここが発祥の地なんだそうです。言われてみれば境内の玉砂利の深さはただ者ではありません(笑)。江戸時代以降、ここ西院野々宮神社は、佐井通四条上るの春日神社の御旅所となり10月第2日曜の春日神社のお祭りの際には、御神輿が来るそうです。こんな歴史も感じる西院エリアです。

 

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寿温泉(西院)
2009.2.28廃業

右京区西院西寿町18の2 営業時間:15:10〜23:00 定休日:土・日曜日
阪急電車「西院」下車 徒歩12分 または 市バス「中ノ橋五条」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/06/19 22:00

 佐井(春日)通の松原から一本西を一筋下がったところにあるお風呂屋さんです。先日土曜日に来て閉まっていたので、休業か!と思ったのですが、しばらくの間土日休みで営業との張り紙がありました。一安心です。
 外観はビル型銭湯で、ビルの名前は「コーポコトブキ」。浴場の隣の事務所風の扉には「有限会社コトブキ」。そしてお風呂屋さんは「寿温泉」。いろいろやられているようです。
 このお風呂屋さんはいろいろ変わっていて、まず入口がスロープになっています。そして上の看板には日本髪を結った女性の看板が・・・。でもこれで驚いていては浴室まで辿り着けません。下駄箱の横には、古典的な泥棒が靴を持ち「今日もいいはきものにありつけたワイ」といっている注意書きがあります。(画像を見たい方は、
いのきんさんの入浴記に写真があります)
 そして引き戸を開けると、胸に「コトブキ」と書かれた水色のスモッグを着たおばちゃんがフロントにおられます。多分このおばちゃんは、コトブキの従業員の方なんでしょう。そのフロント前はロビーになっているのですが、これまたお風呂屋さんのロビーと言うよりは安宿のロビーっぽい感じです。床には青いカーペット、そして座り心地のよい応接セットがあり、周りには本棚とKOTOBUKI PHOTOギァラリィー(表記通り)として北野天満宮の梅や、平野神社の桜の写真が飾られています。本棚にはきれいに少年ジャンプ、サンデー、コロコロコミック、週間現代などが並ぶ中になぜか小学館の学習百科図鑑が並んでいました。
 さて脱衣場の方ですが、男湯は2階、女湯は1階になっています。男湯へはロビーを取り囲むように付けられたスロープとも階段とも言い難い通路を通ります。この通路の突き当たりごとに「今一度洗面道具のお確かめを」とか「シャンプーあります(四角のマス)か?」とか「ロビーでいっぷく」などの看板があります。この看板にも入り口の泥棒と同じようなマンガが描かれていますので、是非ともお見逃しの無いようにして下さい(笑)。
 脱衣場は、少々殺風景な感じもしますが、ロビー側の壁一面には看板広告のような大きな日本庭園の写真パネルがあり、ただならぬ雰囲気です。脱衣場中央には4人掛けのテーブルがあり、菊水の徳用マッチと灰皿が置かれています。このテーブルは表面がセルロイドで加工されたような風合いで、大衆食堂なんかにありそうな雰囲気のものです。それにステンレスの灰皿。よく似合います。
 浴室はビル型銭湯なので、天井に湯気抜きはありませんが一応中央の高い切妻屋根のようになっていました。浴槽は、中央に大きなのがドンとあり、これを細かく仕切り、電気風呂、泡風呂、ジェット、深風呂を備えています。あとは脱衣場側にライオンの水吐き付の水風呂と、浴室の一角に5人ほど入れるサウナという構成です。カランは中央の浴槽を取り囲むように3面にあります。
 壁のタイルは花びらがコーヒー豆柄の小さな花をライン状にしたものが、アクセントに使われていました。また三十三間堂周辺の寿湯でなかなか味のあるタイルだ、と書いた縁取りがあるタイルが、偶然にもこの寿湯でも使われていました。寿つながりです。
 風呂上がりは、一階のロビーで瓶ファンタを飲んでゆっくりしてきました。アイスも売ってますので、お好みに合わせてどうぞ。


 寿湯の西側は以前島津製作所の五条工場だったのですが、現在は取り壊され、ダイヤモンドシティー五条ショッピングセンターという商業施設の建設が急ピッチで進んでいます。周辺の交通問題などで当初計画よりは遅れていますが、2004年春にはオープンする予定です。なんでも敷地面積は48,600Fもあるそうで、甲子園球場がすっぽり入るぐらいの大きさです。駐車場は約1,700台分確保されるそうです。想像つきませんね、1,700台って言われても。中核テナントとしてはイオン(ジャスコ)が入るそうですが、イオンはここから直線で1Hもないところにある京都ファミリーというショッピングセンターにも既存店があります。京都ファミリーはどうなるんでしょうか?開店後の状況は予想できませんが、寿湯の周辺が大きく変わることだけは確かなようです。(↑建設中の五条ショッピングセンター)
 もう一つ、季節限定の案内ですが、今度できるショッピングセンターから五条通を挟んだ南側は、京都を代表する企業の一つであるロームの敷地が広がっています。半導体などを生産するハイテク企業で、直接製品に関わることは少ないですが、クリスマスの時期に毎年本社前でイルミネーション行っておられます。12月にもし寿湯に行かれるなら、北に向かい西院の雑踏に呑まれるか、南に向かいイルミネーションを見るかはあなた次第です(笑)。

 

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山ノ内湯

右京区山ノ内山ノ下町14の7  営業時間:14:00〜24:00 定休日:火曜日
京福電車嵐山本線「山ノ内」下車 徒歩5分 または 市バス「西小路御池」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/06/09 23:00

 嵐電の山ノ内電停から、住宅地を南側に入っていったところにあるお風呂屋さんです。四条側から行く場合は、京都ファミリーの北側を東に行けば辿り着けます。駐車場も8台ぐらいは停められるので、車でも便利です。
 外観は完全に改装されたビル型銭湯で、入口は自動ドアになっています。このお風呂屋さん、自動販売機がやたらと置かれています。まず入口の外側にジュース類の自販機が3台。ドアを入ると煙草の自販機、靴を脱いだ正面にもジュース類が2台。その隣にひっそりと入浴料の自販機も並んでいます。入った左手は広いロビーになっていて、4席ほどあるカウンターでは生ビールが飲める様になっています。このカウンターが、フロントも兼ねているのですが、ここはどちらかというとカウンターがメインで、カウンターに入浴券を渡すといった感じです。道路側にあるソファーも10人ぐらいは座れるゆったりとしたスペースで、アイスなんかも売ってますので、お風呂上がりはテレビを見ながら一心地つけます。
 脱衣場は、ビル型銭湯ですので天井は低いですが、結構ゆったりとスペースを取ってあり窮屈な感じはありません。真ん中と浴室寄りにベンチもあります。マッサージ器が2台あり、一台はよく見る旧型の物、もう一台は新しくありませんがちょっとカーキ色の簡易型といいますか、あまり見ない形の物でした。
 脱衣場やロビーに貼ってあったのですが、このお風呂屋さんにはテコンドーの大会や教室のポスターが何枚かありました。どなたかがやられているんでしょうかね。
 浴室は中央に深風呂、一部電気風呂を兼ねたジェット&泡風呂付の主浴槽があり、両サイドにカランが並ぶ形です。この浴室はビルの奥に造られており、天井は普通の蒲鉾天井の中央に湯気抜きがある浴舎になっています。
 この浴室は、主浴槽の奥が特徴です。右サイドには薬湯(この日は薬草)になった足裏ふくらはぎ刺激付き腰掛け型ジェットが2カ所、左サイドは広めの水風呂になっています。そしてその奥には、10人ぐらい入れる雛壇式のテレビ付き遠赤サウナ、反対側は二重扉の奥に露天風呂になっています。この露天風呂は広さこそ1.4m四方ぐらいと広くありませんが、ぬるめの薬湯(この日は甘草)になっていてゆっくり出来ます。泡風呂にはなってませんが、露天の場合私は静かに入れるのでこの方が好きだったりします。脇には竹が植えられ、小さな灯籠なども置かれ和風の造りになっています。ただ、庇が張り出しているのと、目隠しの塀で空は見えないので、厳密にいえば外気の入る露天風呂風というところでしょうか。
 あとこのお風呂でいいなと思ったのは、サウナを出たところに掛かり湯用のお湯溜めがあった点です。サウナから出た後、いきなり水をかぶるのは冷たいので、いつもお湯を掛けてから水風呂に入るのですが、これならいちいちカランやお湯の浴槽の所まで行く必要がありません。細かいですが、なかなか気配りが行き届いていると思いました。
 またしても大通りから入ったところに充実銭湯を見つけてしまったなという感じの山ノ内湯。京都のお風呂屋さんの充実度を物語る一軒です。

 山ノ内湯の南側は、ジャスコの入る京都ファミリーなどがあり結構賑わっているんですが、北側は一転、静かな住宅地が広がっています。この辺りの道は区画が整備されておらず細い道が入り組んでいます。そんな道を適当に迷いながら北に行くとちょうど三条通にある嵐電の山ノ内駅辺りに出てきます。この山ノ内駅は、京都市内で唯一残る上り下り両方が電停になっている駅です。
 この山ノ内の電停の北側に水子供養と書かれた念佛寺というお寺があるのですが、ここは天台宗の開祖最澄の母、妙徳尼ゆかりのお寺です。この妙徳尼は、生誕の地山ノ内から最澄のいる比叡山を眺め、彼の身を案じていたのですが、比叡山は女人禁制、会うことも叶いませんでした。妙徳尼は結局この地で亡くなるのですが、最澄が母の菩提を弔う為に寺を建立したのが念佛寺の由来だそうです。このお寺を建立するときに、最澄がこの地を比叡山山ノ内と称したそうで、山ノ内の「山」は比叡山の意味を含んでいるようです。
 この念佛寺の角をさらに北に行くと山王神社という神社があるのですが、この神社は白河天皇の時代に滋賀県坂本の日吉山王大神を勧請したお社だそうです。念佛寺といい山王神社といい平安時代に比叡山の寺領だった名残が点在している山ノ内です。山王神社には、樹齢700年以上の楠や、安産子授けの夫婦岩などもありますので、山ノ内散策の折りにお立ち寄り下さい。(→山王神社)

 

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寿湯(御池)

右京区山ノ内御堂殿町3 営業時間:15:00〜24:00 定休日:月曜日
京福電車嵐山本線「山ノ内」下車 徒歩分阪急電車「西院」下車 徒歩2分 

 

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入湯日:2003/06/10 22:30

 西小路御池を西に行ったところにあるお風呂屋さんです。外観は普通のお風呂屋さんぽいんですが、中に入ると完全なビル型銭湯でした。
 脱衣場のロッカーはちょっと変わった配置で、男女仕切の反対側にあるコンクリートの柱を挟んで向かい合うように置かれています。仕切壁側には、貸しロッカーが並んでおりなかなかの人気ぶりです。ビル型銭湯と言っても、置いてある物は結構懐かし目で、旧型の按摩機やその隣には木製の身長計、洗面スペースの上には造花の籠がぶら下がっていたりします。
 浴室の方は、かなり細長い空間で男女壁側にカランがずら〜っと並んでおり、反対側にはこれまた浴槽がずら〜っと並んでいます。ビル型銭湯ですので、基本的に天井はフラットで、水滴が落ちないようM字型に中央が低くしてあります。
 BMGに演歌の掛かる7人ほど入れるサウナが脱衣場側にせり出す形であり、出たところに温水は横から、水は上から出るシャワーコーナーがあります。それに続いてライオンとステンレスの水吐きが両方付いた水風呂、電気風呂、泡風呂とジェットを備えた浅風呂、深風呂、泡風呂付の薬湯と続きます。
 浅風呂の所には、高さ80センチほどの裸婦像が飾られていたり、深風呂の湯口は溶岩石が入れられたちょっと高くなったところからお湯が溢れるようになっていたりと、お風呂屋さんらしい趣向が施されていました。
 このお風呂屋さんの売りは、何といっても一番奥にある露天風呂です。広さは4人ほどがゆっくり入れる広さで、お湯の温度もぬるめに設定されています。隅には両肩に当たる打たせ湯もあります。空間自体は、3階建てのビルの中庭といった感じで、やや開放感には欠けるのですが、この露天風呂の面白いところは、中央に直径1.5mほどの円柱がどーんと建っているところです。この円柱、見上げるとなんとお風呂屋さんの煙突なのです。煙突に向けて照明が当たっていたり、演出もなかなかです。お風呂屋さんならではの、なんてシンボリックな露天風呂なんでしょう!
 露天風呂を満喫し、風呂上がりはお風呂屋さんドリンクで水分補給と行きたいところですが、脱衣場にある宝飲料の冷蔵庫の中にはお風呂ドリンクも各種揃っています。その中に、久々にありました!イチゴソーダ(50円)。色は着色料ありありのピンク色なのですが、これを見るとついつい手に取ってしまいます。今回イチゴソーダの入っていた瓶は、愛媛県今治市のアサヒ酪乳というところの物で、ロゴが「ミニスカッ」と入っていました。最後の小さい「ッ」がポイントですね(笑)。さらに電話番号が入っていたのですが、局番が一桁です。現在今治市の局番は二桁ですので、これでは繋がりません(笑)。でも許しましょう。これもエンタテーメントのうちですから。
 お風呂上がりも楽しませてもらった寿湯さん。シンボリックな露天風呂が印象的なお風呂屋さんでした。

 寿湯のある西小路御池の東側には、昨年テレビに何度も登場した島津製作所の敷地が広がっています。田中さんもこの中のどこかに居られるはずです。
 寿湯は、山ノ内にありますが、京都の人に「山ノ内と言えば」と聞けば6割ぐらいの人は、「浄水場」と答えるのではないでしょうか。寿湯から御池通をさらに西へ行くと天神川の手前に山ノ内浄水場があります。京都市内に浄水場は4カ所あるのですが、他の蹴上、松ヶ崎、新山科の各浄水場は琵琶湖疎水からそう遠く離れていません。ところがこの山ノ内浄水場は、京都市内でも西の方に位置します。山ノ内浄水場の水は、近くを流れる天神川の水なのか、はたまた地下水なのかと思いきや、なんと蹴上から8Hの距離を導水管で琵琶湖疎水の水をポンプで送り込んでいるそうです。この導水管は主に御池通りの地下に埋められているそうですが、直径1.65mもある大きな管で、同じ大きさの物が蹴上のインクラインに展示されています。機会があればご覧下さい。ということで、京都市民が水道をひねれば、右京区だろうが伏見区だろうが琵琶湖由来の水が出てくると言うわけです。
 水道の話だけでも何ですので、評判のラーメン屋も一軒。山ノ内浄水場から延伸中の葛野大路を北に行くと右手に「杉千代」(11:30〜14:30/17:30〜23:00月曜休)というラーメン屋があります。ここはいつも行列が出来ています。スープは醤油とんこつ系で非常にコクのある味です。個人的にはやや油っぽいと思うのですが、上に乗っているチャーシューがトロトロでこれは癖になります。周りに何にもないところにポツンとあるラーメン屋ですが、思い出した際には立ち寄ってみてください。

 

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弁天湯
2004休業その後廃業

右京区太秦藤ノ木町3  営業時間:16:00〜23:00 定休日:日曜日
嵐電嵐山本線「山之内」下車 徒歩10分 または JR「花園」下車 徒歩10分 
または 市バス「西の京藤ノ木町」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2002/11/19 22:00

 BBSにはやぶささんから情報を寄せて頂いた弁天湯の紹介です。旧二条通りの安井商店街にあるお風呂屋さんです。建物は、少し奥まったところにあり全体は見えませんが、左右対称の洋風の意匠がある建物です。
 中はというと暖簾の先の引き戸を開けるといきなり番台の古い造りです。しかし、天井は格天井、浴室入口上部にはモザイクのタイル絵がありなかなか立派です。昭和35年に女湯側に増築されたそうで、その時取り付けられたタイル絵は、柱の関係上3分割されています。題材は、マストのある船が浮かぶ湾になった海で、手前に松の木が数本、左の方には木の橋があります。あくまで想像ですが舞鶴湾の様な感じです。浴室外側のタイル使いもなかなかキュートです。ハート形のタイルを4つ組み合わせ四つ葉のクローバーに見せたり、大小2種類の円形豆タイルを組み合わせ幾何学模様にしたり手が込んでいます。ロッカーは茶色の木製のもの、冷蔵庫は宝飲料のアイスクリームを入れる型の物がありました。
 浴室内も脱衣場と合わせ昭和35年に改装された当時のままだそうで、ほとんどが昔ながらの三六角(約11センチ角)の白タイルですが、梁の部分や縁取りのタイル使いは細かく味があります。浴槽は中央に左半分が浅風呂、右半分が深風呂になった浴槽と、中央奥に左半分がジェットスーパーという名のジェットバス、右半分が電気風呂になった浴槽があります。ジェットバスと電気風呂の間には、少年がまたがった鯉の口からお湯が出る湯口があり、湯口の背面だけ石が組まれています。カランは左右の壁に沿って並んでいる形です。浴室の構造状横長なのですが、天井の湯気抜きもかなり横長でした。浴室の床の一部を凹ませて排水溝にしているあたりは、北白川にある白川温泉に似ています。
 お風呂上がりに、城南鉱泉のサイダーを飲みながら番台のおばさんとしばしお話。建物自体は昭和3年建造だそうで、改装時に棟上げ式の時の札が出てきたそうです。経営は他の方が始められたのを、番台のおばさんの親御さんが引き継がれたそうですが、御高齢でもう出来ないのでお手伝いに来られているそうです。昭和35年の改装当時は、女風呂の方が混み合っていたそうで、一間弱女湯の方が広く造られているそうです。確かによく見れば脱衣場の壁が中央から少しずれています。前の商店街の話を聞くと、旧二条通りも往時は賑やかな商店街で何でも揃ったのに、すっかり寂れてともおっしゃってました。寂れ始めたのは、太子道に清水ママセンターが出来た頃からというお話でしたが、その清水ママセンターも今は更地になっていて時代の流れを感じさせます。風呂イスもないし、設備的にも劣っているのは否めませんが、気のいいおばちゃんと常連さんに支えられている弁天湯さん。入れて幸せを感じるお風呂屋さんでした。

 弁天湯さんの横の路地には、きれいに整備された祠があり、定かではありませんが、名前の由来になっているのかも知れません。現在は旧二条通りと呼ばれている安井商店街の道ですが、小学館発行の「続京都の大路小路」という本によりますとJR二条駅北の出世稲荷から西に延びる現在の旧二条通りがもともと太子道と呼ばれていたようです。太子道の名前は、太秦の広隆寺(太子堂)への参詣道として開かれたことに由来しているそうです。現在の太子道は数年前まで天神川通りまで繋がっておらず、京都に住んでいてもあまり通る道ではありませんでしたが、天神川通りと繋がったことで円町交差点の渋滞を迂回する道として便利になりました。
 以前太子道がとぎれていた辺りの北の方、ちょうどJR花園駅の南側になりますが、現在右京ふれあい文化会館になっているところに映画の町太秦の象徴とも言えるイマジカがありました。イマジカの名前は、映画のエンドロールでよく見かけますが、1935年に京都太秦で極東現像所として設立され、その後東洋現像所、イマジカと社名を変更します。残念ながら1990年に京都での事業は大阪に集約され創業の地を離れてしまいました。安井商店街といい、イマジカといいちょっと感傷的になる弁天湯周辺です。

 

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御所の湯
2014.1.30廃業

右京区太秦安井北御所町4  営業時間:16:00〜22:30 定休日:金曜日
JR「花園」下車 徒歩6分 

 

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入湯日:2003/07/06 22:30

 JR花園駅の南側に広がる住宅地の中にあるお風呂屋さんです。夜に行くと遠くからでも温泉マークの看板の灯りですぐ分かります。
 外観はこぢんまりした町のお風呂屋さんで、中に入っても期待を裏切りません。番台上には、福笹の飾られた神棚と大峰山のお札、ロッカーの上には壬生ふたばさんから贈られた大入り額、脱衣場にせり出すように造られたサウナの上には黒い招き猫といった感じです。宝飲料の冷蔵庫の中にはお風呂屋さんドリンクがなかなか充実しています。ひやしあめ、イチゴソーダ、ローヤルサニー、メロンソーダ、コーヒー、サイダー、ラムネとほぼフルラインナップで並んでいます。風呂上がりに飲んだローヤルサニーですが、王冠がなんと山科の宮川商会のものでした。この宮川商会さんは、数年前にお風呂屋さんドリンクの生産を止められているんですよねえ。ということは、数年前のジュースということに・・・。お腹壊さなかったから、いいや。
 あとこの脱衣場で面白かったのは、道路側のベンチが置かれた休憩スペースです。国土地理院の2万5千分の1の京都西北部の地図が貼られた本箱があり、マンガの週刊誌に混じって、文庫本が並んでいます。脇に積まれた大型の本の中には、太平洋戦争の本から、地区の運動会のパンフレットまで幅広いジャンル構成でした。閉店間際でゆっくり見れませんでしたが、はまるとかなり長居してしまいそうです。
 浴室の方は、手前側に4,5人サイズのサウナと、水風呂が左右にあり、中央部がカラン、奥が浴槽という感じです。水風呂は、角に取り付けるタイプの面長のライオンの水吐きのほかに、使われていませんでしたが片膝付いた女性の持つ瓶からお湯が出る湯口もありました。
 奥の浴槽は、一部が泡風呂、電気風呂、腰掛け型ジェットになっている大きな浅風呂があり、それに円形の深風呂と、小さな泡風呂になった薬湯がひっついているような形です。それと角に電話ボックスのような打たせ湯のコーナーが設けられています。
 男女壁には、縦横50Bぐらいの花が描かれたタイル絵が2枚と、縦25B横15センチぐらいのチューリップが描かれたタイル絵が2枚ありました。大きな方のタイル絵は、色調やタッチが日本画チックな感じで描かれています。あまり見ないもので、プリントかどうかちょっと判断に困る代物でした。
 私がお風呂から上がったのが、閉店の11時10分ほど前。ジュースを飲んだりしてのんびりしていると、さっきまで番台に座っていたおじさんがおもむろに服を全部脱ぎ、お風呂に入って行かれました。終い湯に入りながら、掃除されるようです。このお風呂屋さんは、11時に完全閉店です。11時までに帰るようにしましょう。


 御所の湯のある辺りは静かな住宅地の広がっているエリアです。弁天湯でも書きましたが、近くの安井商店街は昭和30~40年代頃は賑やかだったそうですが、現在ではのんびりした商店街になっています。
 御所の湯の住所は太秦安井という所なんですが、多くのかたが太秦と聞くと映画を連想されるのではないでしょうか。今回の周辺案内は、ちょっと映画にも関係あるお話です。
 浅田次郎氏の作品の中に「活動写真の女」というミステリー小説があります。作品の舞台は京都で、時代は昭和44年。映画産業がテレビに取って変わられ映画が斜陽産業と言われて久しい頃です。京大生の主人公が太秦の撮影所でアルバイトをする中で経験する不思議な出来事が綴られています。まあ話は読んで頂くことにして、その物語の中に法金剛院というお寺が出てきます。御所の湯からもほど近い花園駅の北側にあるお寺です。
 このお寺、私も小説を読んでから初めて訪れたのですが、歴史は古く平安時代に遡ります。また蓮が有名で、池を覆い尽くすほどに群生しており花の咲く7〜8月に是非訪れたいところです。何気にご本尊の阿弥陀如来ほか、平安〜鎌倉期の仏像を多く所蔵していて7点の重要文化財も見ることが出来ます。時間があればぶらっと訪れてみるのもいいでしょう。拝観は9:00〜16:00で大人400円です。
 また浅田次郎著「活動写真の女」は、双葉文庫と集英社文庫から文庫本が出ています。合わせてどうぞ。

 

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やしろ湯

右京区太秦森ヶ前町19  営業時間:15:00〜25:00(土日祝6:00〜) 定休日:木曜日
嵐電嵐山本線「蚕の社」下車 徒歩2分

 

 

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入湯日:2002/10/05 13:00

 京都で唯一路面電車が残っている京福電鉄の嵐山線。電車通りから細い道をしばらく行くとやしろ湯が見えてきます。横の大きな駐車場と階段を昇って二階から入るのが特徴。二階の暖簾をくぐると正面に大きなフロントがあり、おばあちゃんと若い女性の方が迎えてくれました。フロントの右手が男湯の入り口です。
 脱衣場はカーペット敷きの休憩スペースがゆったり取られ、湯上がりにテレビを見ながらゆっくり出来ます。籠は籐籠、床は籐筵です。この辺りはまぎれもなく京都のお風呂屋さんです。浴室へは階段を下りていきます。
 浴室も広い!クアハウスのようです。階段を数段下がったところに、直径3mぐらいのシェル型の水風呂(プール?)。周りにはプールサイドにあるデッキチェアやテーブルまであります。その奥には遠赤サウナがあり10人ぐらいはゆっくり入れる広さで大型でテレビもあります。サウナ後は、冷水浴用に冷たい水の浴槽もあります。私はプールにある打たせ水に当たりながら土曜の昼からまどろんでしまいました。他にも浴槽は、寝湯になっている炭酸温泉(泡風呂の泡が炭酸なんだなこれが)、腰にジェット二本が当たる腰掛けタイプのジェット湯、十日おきに変わる健康薬用風呂(この日はローズマリー&マジョラム)、浅風呂と豊富です。湯温は全体的にぬるめでゆっくり入れました。
 やしろ湯さんのカランから出る水はなんでも軟水だそうで、体や顔を洗った後お肌すべすべです。こんなリゾート気分のやしろ湯さんですが、お湯に浸かりながら天井を見上げるとお馴染みの湯気抜きがありました。ということは・・・改装時に脱衣場部分を2階建てにして1階部分を浴室スペースとして広げ、入り口や脱衣場を2階に移されたんですね、予想するに。こういう改装方法もあるのかと感心。
 さて、ゆっくりお湯を満喫した後は脱衣場の休憩スペースでゆっくり、ということでジュースを飲みながらテレビを見ているとありました。二条駅周辺で紹介している龍宮温泉さんに続いて「オートヘルサー(ベット型マッサージ器)」が。おもむろに30台後半ぐらいの体格のいいお客さんが、横になりマッサージを始めました。その気持ちよさげなこと!たまにうめき声も出ています。しかし、頭と足が表示してある方向と逆だ!私は至福の時間を過ごすその方に「逆ですよ」と声を掛けることなくやしろ湯を後にしたのでした。
 やしろ湯さんは、京都で土曜日も朝風呂をやっている貴重なお風呂屋さんです。
また、やしろ湯さんは、パワフルなホームページを持っておられます。詳しくはそちらをご覧ください。
<やしろ湯さんのHPにジャンプ>


 京都府主導で行われている「健康入浴推進プロジェクト」のモデル事業として、2005年12月3日(土)にやしろ湯さんで太極拳の体験教室が行われました。(2005年度はモデル銭湯として、やしろ湯さんの他、京都駅周辺で案内している白山湯六条店さん、宇治市の桜湯さんでイベントが行われます)
 穏やかな晴天のもと、約20名の幅広い年齢層の方と準備運動も含め約1時間、一緒に太極拳を体験してきました。太極拳は初めて体験しましたが、ゆっくりと動いている型のひとつひとつに仮想の相手をやっつける意味があったんですねえ。この日は基本となる24の型のうち、8つについて繰り返し練習をしました。講師の先生は、岡崎の武道センター横にある武徳殿で毎週教室も開いておられるそうですが、基本の型だけでも1年ぐらいかかるのだとか。我々は1時間ですのでね、ほんとにさわりだけです。
 終わった後の、ひとっ風呂は気持ちよかったー。
(2005.12.5追記)

 ノーベル賞の田中さんも毎日通勤で使っている嵐電ですが、その歴史は古く明治43年にまで遡ります。日本で初めて電車が走ったのは御所南周辺の錦湯でも触れたように明治28年です。それから15年後ですな。果たして早いのかな?遅いのかな?四条大宮〜嵐山を単線の線路で電車が走りました。嵐山電気軌道という私鉄でした。現在太秦に東映の撮影所がありますが、撮影所が京都に出来たのは関東大震災で関東の映画会社が京都に流れてきたためですので、嵐電が開通したときは太秦の電車沿線はほとんど田園地帯です。その後、京都電燈という会社に合併され大正末には、北野線(北野〜帷子ノ辻)が全線開通しています。京福電気鉄道となるのは昭和17年のことです。意外な事実ですが、現在の北野線の起点、北野白梅町から北野神社の前まで昭和33年まで路線があったのだそうです。また昭和4年〜19年まで嵐山〜清滝間に電車が、清滝〜愛宕山間にケーブルカーが愛宕山鉄道により運行されていました。しかし、太平洋戦争の物資供出で廃止となっています。
 いろいろな歴史をもって走り続ける嵐電ですが、昼間でも嵐山線は8分間隔、北野線は10分間隔で運転されており足としては非常に便利です。最近では、古い車両をリニューアルしたレトロ車両も運行されています。京都観光の際は、なつかしい感じのする嵐電に是非乗ってみてください。

 

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昭和湯
2012.4末廃業

右京区太秦組石町28  営業時間:16:00〜23:00 定休日:金曜日
嵐電嵐山本線「太秦」下車 徒歩3分

 

 

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入湯日:2003/10/16 22:30

 嵐電太秦駅から南東方向に3〜4分歩いたところにあるお風呂屋さんです。隣にはコインランドリーを併設していて、前には自販機がずらーっと並んでいます。
 ちょっと奥まったところにある玄関を入ると正面には、タバコの自販機とピンク電話が並んで置かれポスターの類もぺたぺた貼られています。その中に緊急時の連絡先を書いた貼り紙もありました。実はこの貼り紙、脱衣場にもあるんですが、警察、消防はじめ、電気、ガス、水道などライフライン系も書かれていました。
 脱衣場はパステルグリーンの格天井に、吊り下げ型の扇風機となかなか雰囲気があります。男女仕切も時代を重ねた風格のあるもので、その前には古い駅にありそうな木製ベンチ。灰皿は陶器製の傘立てに火鉢のように灰を入れて置かれています。さらに、木製の身長計に朝日衡器の貫匁併記の体重計となかなか渋いモノぞろいです。また装飾品も豊富です。脱衣場側に飛び出したサウナの上には、信楽狸と鯉が描かれた絵皿、さらに流木のオブジェ、ロッカーの上にもアイヌの熊の木彫りに日本人形、祭りうちわなどなど。目を楽しませてくれます。お風呂の歴史に必ず出てくる光明皇后の施浴伝説の版画(西陣長者湯にもある)も額に入っていました。また際物系では、自衛隊のカレンダーや、阪神時代の新庄のうちわ、旗などもありました。飲み物の自販機がチェリオというのも、この場ではポイントアップではないでしょうか。
 浴室もなかなか個性的です。男女壁の上には蔦のフェイクが絡められ、所々に商店街に飾ってあるようなモミジも飾られていました。
 浴室内の配置は脱衣場側に4人ほど入れるスチームサウナと反対側に水風呂。男女壁に沿って手前から、泡風呂の薬湯、深風呂とジェット2基付の浅風呂が半円形であり、半身浴が出来る打たせ湯のボックスという構成です。水風呂には少年が乗った鯉の水吐きがあり、珍しくライオンの水吐きは浅風呂に付いていました。
 浴室の特徴としては、天井が他のところより低めです。男女壁にやじろべえ型の電気がついているのですが、電気のカバーが天井に一部触れていました。またタイルは全部貼り替えられているのですが、天井と壁の境目には、エンジと水色の細かい長方形タイルでねじり棒のようにデザインした柄があり、ちょっと懐かしい感じです。同じ柄がたしか太秦安井の弁天湯にもありました。さらに珍しいのは、水風呂の天井です。この水風呂は天井近くの構造がかまぼこ天井からはずれていて、独立したようになっているのですが、そこに天窓がありました。以前はここまで脱衣場だったのかも知れません。また、浴室の壁に細長い緑色のガラスがはまったデザインがあったのですが、これは明かり取りでしょうかねえ。良く分かりません。
 良く分からないものでもう一つ。浴室前の洗面台のタイルスペースの天井からシャワーらしきパイプとノズルが延びているんです。現在は使われていませんでしたが、以前は入る前か後にシャワーが浴びれるようになっていたんでしょうかねえ。これも良く分かりません。
 謎が謎を呼ぶ昭和湯でしたが、なかなかの賑わいでした。銭湯愛好家としては観るものも多く、楽しめる一軒です。


 京都のお風呂屋さんは、散髪屋さんと隣り合わせになっていることが多いのですが、ここも御多分に漏れず隣り合っています。この散髪屋さんが、昭和30年代の風情そのままにこぢんまりと佇んでいますので、昭和湯さんと合わせて見て下さい。舗装されてない路地が横にあり、ホントに映画のセットの様です。(写真→)
 さて太秦といえば、国宝第一号の弥勒菩薩像がある広隆寺です。もとは渡来系の豪族であった秦氏が聖徳太子から仏像を賜り、氏寺として建立されたと考えられ、平安京造営時に現在の場所に移ったという説や、もっと前に移ってきたという説など、諸説あるのですが京都で最も古いお寺のひとつであることは確かです。別名太子堂の名前でも親しまれ、大正時代の地図を見ますと、現在の嵐電太秦駅は「太子前」という駅名で出ており、太子道という道路の名前が残っている事からも、一般的にはこちらの方が親しまれていたのかもしれません。
 弥勒菩薩像などが展示されている霊宝殿は、入場料700円ですが、飛鳥時代から平安、鎌倉にかけて造られた仏像が多数展示され、国宝、重要文化財のオンパレード。一見の価値有りです。(広隆寺はなんと国宝20点、重要文化財48点を所蔵)
 また太秦駅前にある南大門から入った正面にある講堂(赤堂)は、現存する京都最古の建物で1165年の建造。800年以上持ちこたえた柱に触るとす〜っと時代の流れに吸い込まれていくような感じさえします。他にも聖徳太子像を安置する本堂(太子殿)の見事な格天井など見所は多数ありますので、一風呂浴びる前にごゆっくりどうぞ。
(↑写真は南大門と本堂の格天井)

 

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太秦温泉

右京区太秦多薮町45  営業時間:15:00〜24:00 定休日:第1・3水曜日
嵐電嵐山本線「太秦」または「帷子ノ辻」下車 徒歩5分

 

 

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入湯日:2003/10/15 22:30

2019年3月リニューアル。
番台がフロント方式になったほか、庭がなくなりコインランドリーが新設されました。


 嵐電の太秦駅から帷子ノ辻まで延びる大映通り商店街の中程にあるお風呂屋さんです。暖簾の掛かる玄関の前は、屋内駐輪スペースになっていて、玄関スペースが二段構えになっているような感じです。古い型のタバコの自販機が置かれた玄関スペースもゆったりと取られています。
 脱衣場はあまり装飾品の類は置かれていないのですが、貼り紙がいっぱいあります。道路側に水が抜かれた池のある庭があるのですが、そこには「池に金魚がいますので、タオルを絞ったり、吸い殻を捨てたりしないで下さい」と・・・。金魚はどうなったんでしょう?また、東京では一般的になってきているようですが、室内で携帯電話は使わないでくださいとの貼り紙もあります。他にもこう薬類は剥がしてから入浴してくださいなどなど。浴室内にも、水風呂には「水中メガネをして潜ったり、飛び込んだりしないように」とか、スチームサウナ内には「温度センサーに水を掛けないように」などなど、たくさんあって覚え切れません(笑)。サウナ内のセンサーには、ご丁寧にカバーが付けられていました。
 話は前後しますが、脱衣場の浴室入口にはモザイクのタイル絵があります。モチーフは男女とも川の風景で、男湯側には筏ながし、女湯側には橋が描かれています。後で女将さんに聞いたところに依ると、昭和31年に設置されたもので、嵐山ということでした。昭和48年(だったかな)に水風呂を脱衣場側に増設したので、一部削れてしまったとのこと。でも状態は良く、きれいに残っています。
 このタイル絵を見ながら不思議に思ったんですが、浴室の男女壁と、脱衣場の仕切が一直線になっていません。脱衣場の仕切は男湯側に寄っています。もしかしたら、脱衣場は女湯側を大きく取ってあるのかも知れません。
 浴室の方は、中央に深風呂、浅風呂を備えた噴水付の主浴槽。奥に足裏刺激付腰掛けジェットが2カ所と普通のジェットが脇を固めるように2カ所。浴室右手に泡風呂になった薬湯と6人ほど入れるスチームサウナ。脱衣場側に泡風呂になった水風呂という構成です。水風呂はほぼ全面泡風呂になっていて、一瞬水風呂には見えません。
 浴室内はグリーン系統のタイルが多く使われ、タイル等もあまり古い感じはしないんですが、洗い場のまん中に排水の溝があったりして、造り自体は結構昔の姿を留めているような気がします。天井のペンキの色がグレーというのも珍しいところです。(この1週間ほど後に天井補修のため休業との貼り紙あり)
 風呂上がりは、宝飲料の冷蔵庫にあったフルーツ牛乳をチョイス。たまに飲みたくなるんですよねえ、これ。西に30mほど行ったところに駐車場もありますので、車で遠来の方も嵐山観光と引っ掛けていかがでしょう。


 太秦温泉のある「大映通り商店街」の名前は、ちょうど太秦温泉の南側に大映の撮影所があった名残ですが、戦前は日活通りと呼ばれていた時期もあるそうです。東洋のハリウッドと呼ばれたのも今は昔といった感ですが、この商店街は街路灯に映画の撮影用カメラのデザインを施してあったり、路面のカラー舗装はフィルムを象ってあったりと、ここが日本映画の中心であったことを語ろうと頑張っています。
 ということで、華やかりし頃の面影を辿ってみましょう。まず、広隆寺前から商店街に入りしばらく行くと、左手に小さな神社があります。「中里八幡」と「三吉稲荷」という二つの神社が並んでお祀りされているのですが、これらの神社はもともと別の場所にあったものを、映画関係者がこの地に祠を新築し、お祀りしたものだそうです。境内には、日本映画の父と呼ばれるマキノ映画の牧野省三の顕彰碑も建っています。(←牧野省三の顕彰碑が建つ境内)
 ちょっと商店街をはずれ、太秦温泉の南の方に行くと、太秦中学と大きなマンションが建っているのですが、ここが大映撮影所跡で、現在はマンションの前に石碑がひとつあるのみです。
 この石碑の前をずっと西に行けば、松竹の京都撮影所の横手に出ます。塀越しに時代劇のセットがちょとだけ見えます。この松竹撮影所の通用門の横手に京都で唯一の都市型ケーブルテレビを運営する「みやビジョン」があるというのは、映画産業に引導を渡したテレビと映画が並んでいるようでちょっと象徴的にも思えます。
 映画関係にこだわらなくても、大映通り商店街には、商店が集まって作った太秦マーケットという懐かしいお店があったり、木の扉の郵便局が現役で頑張っていたりと、ちょっと歩けばかなり懐かしい感じがするものにかなりの確率で出会います。嵐電で出掛ければ、さらにムードを盛り上げてくれることは、間違いなし。東洋のハリウッドに出掛けて見ましょう。

 

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蜂ヶ丘温泉
2004.6.15廃業

右京区太秦乾町13の6  営業時間:16:00〜23:00 定休日:月曜日
JR「太秦」下車 徒歩8分 または 市バス・京都バス「太秦開日町」下車 徒歩5分

 

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入湯日:2003/10/25 22:00

 JR太秦駅から直線距離だと北西に300mぐらいの所にあるのですが、この辺りは非常に分かりにくい住宅街が広がっています。地図をしっかり見てから出掛けましょう。私も迷いながら市営住宅の北側に看板を発見。無事入湯出来ました。
 角地に建っているのですが、角の部分は庭になっていて、立派な枝振りの松などが植えられています。実はこの庭越しに男湯の脱衣場が丸見えなんですが、その事に気付いたのは風呂から上がってパンツ一丁状態の時(笑)。まあいいか。
 脱衣場は結構ゆったりした造りで、中央に一畳分の腰掛けがあり、その上には菊水の徳用マッチが置かれていました。天井は古くないんですが格子状のデザインになっており、羽目板部分には鶴が描かれています。籠は全て籐籠です。ロッカーの横手には、ぶら下がり健康器、常連さんの洗面器置き場、ヤマトのアナログ体重計が並んでいます。
 縁起物として男女仕切の上には、しゃもじに戎様の顔が描かれたお札や、大黒様のお札、金色の招き猫なんかが並んでいました。
 飲み物関係は、上蓋をスライドさせるタイプの冷蔵庫があり、京都では珍しいいづみブランド(毎日牛乳)のサイダーなどがありました。またビールがいっぱいは入っており、おつまみチーズの姿もありました。
 浴室は中央に目の字型に主浴槽がある造りで、奥に3人ほど入れるピンク色のタイルが貼られたスチームサウナと、奥まったところに電気風呂とおそらく麦飯石風呂と思われる浴槽があります。ここのサウナですが、入口のドアが小さくちょっと屈んではいるような感じです。また珍しく女湯のサウナと上の方で繋がっています。要するにサウナの中にも男女壁があるような感じでした。
 電気風呂とお湯を共有している麦飯石風呂と思われる浴槽には、底に金属製の箱があり、これに薬石が入っているんでしょうか、真相は分かりません。この浴槽にはもう一つ謎がありまして、サウナと麦飯石風呂の間に、釜場に続くドアがあるのですが、そちらに向かって鉄格子のはまった窓があります。ちょっと東京で見た湯口を思いだしたんですが、湯口にしては不自然だし、釜場からの覗く窓にしては横向きに付いているし、これについても真相は分かりません。
 主浴槽は、奥からジェットが3カ所と泡風呂の浴槽、深風呂、浅風呂と並んでいます。浅風呂の底には、タイルの鯉が4匹泳いでいます。水風呂は脱衣場側にせり出す形であり、ちょっと高い位置に付けられたパイプから、弧を描いて水が出ています。
 私が行ったのは、10時頃でしたがお客さんの構成がなかなかバラエティーに富んだ蜂ヶ丘温泉でした。


 蜂ヶ丘温泉という名前ですが、組合のHPを見ると「蜂ヶ岡」と「おか」の字が違っています。近くにある中学校も「蜂ヶ岡」中学です。看板は便宜上「丘」という字を当てられたんでしょうかね。この「蜂ヶ岡」という地名は、太秦の古い呼び名でもあり、広隆寺も古くは「蜂岡寺」と表記し、そう呼ばれていたそうです。
 蜂ヶ丘温泉の周辺ですが、この辺りは比較的新しい住宅地で、JR太秦駅も平成元年に開業した新しい駅です。周辺案内は少し足を延ばして広沢池の方に行ってみましょう。蜂ヶ丘温泉からですと、新丸太町通の山越道に出て、歩いて15分ほどです。
 広沢池は古くから月の名所で、現在でも北西方向に開けた北嵯峨の風景とあいまり、アマチュアカメラマンに人気の高いスポットですが、ここでは桜の話を少々。(←広沢池)
 山越道を新丸太町から北に行くと市バスの駐車場があり、そこから脇に入ると広沢池の手前まで細い道を抜けられます。この道の両側は造園業者が何軒かあり、庭石やいろいろな樹木を眺められてなかなか面白いのですが、この道が観光道路(広沢池南側の道)に出た左手が、円山公園の枝垂れ桜の桜守として有名な佐野藤右衛門さんの「植藤造園」です。観光道路沿いには、立派な枝垂れ桜が並び、春には目を楽しませてくれますが、この桜は円山公園の現2代目枝垂れ桜から言うと子にあたる枝垂れ桜たち。見事なわけです。(→桜じゃないですが、モミジもきれいです)
 2003年4月号の月刊「京都」に16代佐野籐右衛門さんのインタビューがあったのですが、その中で籐右衛門さんは「どこの桜がお勧めかやて?そんなもんあるかいな。どの桜にもそれぞれ歴史があるし良さもあるんや。そんなふうに考えたことあるか?どこどこの桜がお勧めやとか、そんなんわしにはないで」とおっしゃってました。
 ええこと言わはります、籐右衛門さん。よしっ!私も決めました。「どこのお風呂がお勧めですか?」と聞かれたらこう答えよう。「そんなもんありません。どのお風呂屋さんにも歴史がありますし、良さがあるんです」と。

 

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寿湯(車折)
2019.9.30廃業

右京区嵯峨折戸町18 営業時間:15:30〜23:00 定休日:金曜日+第三木
嵐電嵐山本線「車折」下車 徒歩1分

 

 

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入湯日:2003/11/11 21:30

 嵐電の車折(くるまざき)駅を下り、南側を線路沿いに嵐山方面へ100mほど行ったところにあるお風呂屋さんです。駅と建物の間に7台分の駐車場もあります。
 外観は普通の町のお風呂屋さんですが、暖簾をくぐると自動ドアが開き、ちょっと驚かされます。玄関スペースは新しくもなく、古くもなくといった感じですが、脱衣場から奥はきれいに改装されていて、昔の面影はほとんど残っていません。脱衣場で面影を留めていると感じさせるのは天井で、ほとんどきれいな白い天井になっているのですが、ぐるりと廻り一周だけ格天井の格子が残っていました。
 この脱衣場で面白いなと思ったのは、ロッカーの埋め込まれた壁にぶら下がり健康器のぶら下がる部分だけが、壁に取り付けてあるという仕掛けです。省スペース設計といいますか、お風呂屋さんにぶら下がり健康器はあって当然という意識が、取り付けさせたんでしょうかね。
 こぢんまりとしていますが、中央にベンチ一脚と、玄関側に按摩機とベンチ二脚が置かれた小さな休憩スペースもあります。
 飲み物は、無印の冷蔵庫に京都では珍しい「いづみブランド」(毎日牛乳)のホワイトサワーとコーヒーがありました。私は風呂上がりに、久しぶりにマミーを飲みました。
 浴室の方もきれいに改装されていて、ほとんどの壁が大きい白タイルが貼られているのと、天井まで白いペンキで塗られているので、明るい感じの浴室です。
 奥に6人ほど入れる演歌の掛かるサウナがあり、隣に花器のような水吐きが付いた水風呂、男女壁側にジェットと泡風呂、電気風呂を備えた複合浴槽と深風呂、脱衣場側に泡風呂の薬湯という構成です。深風呂には、鉢を半分壁に埋め込んだような湯口が付いています。
 この浴室の雰囲気はどっかと似ているなと思ったんですが、嵐電北野線沿線の谷口湯に中がすっかり改装されている辺りや、明るい浴室の雰囲気が似ているような気がしました。
 私が行ったのは、9時過ぎでしたが、なかなかの賑わいで年齢層も若者からお年寄りまで幅広い構成でした。駐車場に個人タクシーの車が止まっていたので、密かに人気店なのかもしれません。食べもん屋は、タクシーが停まってるとおいしいって言いますからね。
 風呂上がりに面白かったことがひとつ。高校生ぐらいのやんちゃそうな子と居合わせたんですが、周りの大人から「今日学校はどうしてん?」とみんなから言われてました。「ちゃんと行ってますよ〜」とぶーたれ口調でしたが、顔見知りの人には自分から挨拶してましたし、地域の人みんなにかわいがってもらってて、微笑ましい光景でした。そんな寿湯です。


 寿湯さん最寄りの嵐電車折駅ですが、駅を下りると正面に車折神社の裏参道が続いているというロケーションにあります。神社側から駅を見ると、石畳の参道の向こうに嵐電の小さな駅が見え、なかなか絵になる風景です。
 この車折神社ですが、5月に嵐山で龍頭の船を浮かべて行われる三船祭が有名ですが、元は商売繁盛の神様で、境内の御神石を持ち帰り満願叶った際に返納するという習慣があり、本殿前には満願叶い返納された願い事が書かれた石がたくさん積まれています。また境内に祀られている芸能神社は、芸能人の信仰が篤いことでも有名で、奉納者の名前が書かれた札には宝塚歌劇団から、演歌歌手、三味線弾き、歌舞伎役者、茶道の家元まで様々なジャンルの方の名前を見ることが出来ます。(→芸能神社の賽銭箱。千社札で埋め尽くされています)
 こういうところに来ると、ついつい知ってる芸能人の名前を探してしまうのが人情ってもんです。ものまねのコロッケさんがあるなあ、俳優の窪塚洋介さんもあるぞ。おっ!千宗室家元があるなんて見ておりましたら、TOKIOもありました。まあ神社のどこにあったかは、内緒にしておくことにしまして、風呂上がりのひとときにでも探してみてください。

 

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鹿王湯

右京区嵯峨北堀町13  営業時間:16:00〜23:00 定休日:日曜日
嵐電嵐山本線「鹿王院」下車 徒歩3分

 

 

詳しい場所を見る

入湯日:2003/11/19 17:00

 嵐電の鹿王院駅から南へ行き、立派なお地蔵さんの角を西に曲がったところにあるお風呂屋さんです。平屋建ての建物で、何て言うんでしょう、鄙びたという表現が当てはまるような感じです。建物横の路地には、薪が積まれていましたので、今でも薪を使っておられるようです。
 表の引き戸や、脱衣場への引き戸に網目状の凹凸が入ったガラスが使われており、下駄箱もブルーグリーンのセルロイド調。何ともいえない時代感が漂っています。
 脱衣場に入ると、おじさんがベンチで新聞を読んでおられましたが、この方がご主人です(笑)。番台は使われてないようで、きれいに整頓されていました。全体的には改装されており、さっぱりとした脱衣場で、テレビもなく静か〜な時間が流れています。装飾品の類もあまりないんですが、男女仕切壁の上に体長10センチぐらいの黒い招き猫が一匹座っていました。道路側にアコーディオンカーテンで仕切られた物置のような空間があり、そこの柱に扇風機のものと思われる古〜いスイッチがあったんですが、脱衣場を見渡す限り扇風機はありませんでした。改装時に取り外されたんでしょうかね。
 体重計は寺岡のアナログ式、特筆すべき点として大スポが置かれています。
 飲み物関係の入った冷蔵庫は、オロナミンCのシールが貼られ社名が隠れていますが、大阪の太田牧場のものでした。これは珍しい!風呂上がりに、オロナミンCを買ったんですが、冷蔵庫の中にはパックの牛乳や、ヨーグルトの四個パックの姿があり、どうも自家用としても使っておられるようです。
 浴室の方もこぢんまりした感じで、男女壁側にジェットが2基ついた浴槽、深風呂、浅風呂が並び、脱衣場側に扇形の小さな水風呂という構成です。水風呂にはライオンの水吐きが付いています。カランはシャワー付9カ所に、シャワーなし4カ所の計13カ所。島カランはありません。
 こういうこぢんまりしたお風呂屋さんは、お湯が往々にして熱いのですが、ここも各浴槽の温度傾斜はなくかなりの熱さです。常連さんも水でうめて入っておられたので、私もうめながら蛇口の近くに浸かりました。最近のお風呂屋さんでは、水の蛇口がない浴槽も多いのですが、ここは3つの浴槽それぞれに水の蛇口がありました。最初から熱めの設定を意識しておられるのかも知れません。
 壁のタイルはほとんどが白タイルですが、所々に輪を連ねた様なデザインが施されています。天井は普通のところより低いのですが、湯気抜きが大きく取られていてあまり圧迫感は感じませんでした。
 建物といい、ロケーションといい嵯峨野の湯屋といった風情の漂うなかなか渋い一軒です。


 鹿王湯さんの名前は、もちろん鹿王院から来ているのですが、鹿王院までは100mほどですので是非とも行かれることをお勧めします。このお寺は足利義満が自らの寿命を延ばすことを祈って建立した禅寺で、庭は京都市の指定名勝になっており、舎利殿をを中心に苔むした庭と、嵐山の山並みを借景に取り入れたなかなか渋い庭です。なにより拝観料が300円とリーズナブルなのと、嵐山の喧噪がらちょっと離れて静かに庭を観られるのが魅力です。また山門から中門までの参道の石畳は両脇に青々とした杉苔、参道を覆う様に茂る樹々と絵になる風景が続き、アプローチもかなりのお勧めです。(→嵐山の山並みを借景にした鹿王院の庭)
 鹿王院に至る途中での注目は、嵐電の鹿王院駅から南へ行き、鹿王院や鹿王湯さんに行く曲がり角にある立派なお地蔵さまの祠と愛宕山と書かれた天保年間に建てられた常夜灯です。鹿王院の本堂の中に15世紀ぐらいの嵯峨野の様子を描いた掛け軸が掛かっており、鹿王院の前の道(鹿王湯さんの前の道)もしっかり描かれていましたので、この道は古くからの主要道だったようです。そんな事を考えながら周辺を散策し、お風呂に浸かるとまたひと味もふた味も違う一風呂になりますよ。(←鹿王湯のすぐそばに建つ常夜灯とお地蔵様の祠。常夜灯は天保年間と刻まれている。)

 

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嵯峨湯
2004頃休業、のち廃業

右京区嵯峨天竜寺今堀町4  営業時間:16:00〜22:00 定休日:月・火曜日
嵐電嵐山本線「嵯峨駅前」下車 徒歩1分 または JR「嵯峨嵐山」下車 徒歩2分

 

 

詳しい場所を見る

入湯日:2003/12/03

 JR嵯峨嵐山駅から駅前の商店街を2分ほど歩くと、左側の散髪屋さんの手前にあるお風呂屋さんです。ちょっと奥まったところにあるのに加え、目立った看板もありませんので要注意です。
 石畳のアプローチを行き、暖簾をくぐり、引き戸を開けるとタタキに番台のある古いタイプの造りで、こぢんまりした脱衣場が広がっています。かといって全部が古いか訳ではなく、天井や壁はきれいに改装され明るい感じの脱衣場です。但し、天井がかなりの低さでジャンプをすれば確実に届きます。
 この脱衣場で目を引くのは古いロッカーです。5段×5列で扉があるのは上3段なんですが、ロッカーの扉の上下が5センチぐらいずつ空いています。そしてこれに付いている鍵に、KING製の古い物が混じっており「キング錠」とひとつひとつ刻印されていました。
 ほかには、番台上に電気の燈明が灯されたお稲荷さんの神棚、浴室前の洗面台の横手には岬に灯台、海にヨットが浮かぶモザイクタイル絵があります。
 男女仕切にはおおきな鏡が付いているのですが、鏡広告のひとつが堀川丸太町のパチンコ屋オメガ会館のものでした。宣伝効果あるんでしょうかね?この男女仕切にはもうひとつ不思議な点がありまして、天井との隙間が奥に行くほど狭くなっています。奥行きを演出するための小技なのか、はたまた必要に迫られてこうなったのかは分かりませんが注目してみて下さい。
 飲み物関係は、特にメーカーの名前など入っていない冷蔵庫が置かれていますが、牛乳やお風呂ドリンクの類はありませんでした。
 浴室の方もこぢんまりとしていて、男女壁側に深風呂とジェット2カ所付きの浅風呂が半々になった半円形の浴槽があり、脱衣場側に小さな水風呂という構成です。主浴槽の方は、壁側に石を30センチぐらいの高さに組み、そこからお湯が出るようになっていました。水風呂の方は、やや小ぶりのライオンの水吐きがあり、壁にはガラスブロックが多用されています。
 カランは壁際に計11カ所。ほんとにこぢんまりとした感じです。こういう感じのお風呂屋さんでは、お湯がめちゃ熱のことがあるんですが、ここはやや熱め程度で、うめる必要もなく気持ちよく入れました。
 タイル使いとしては、壁は全部昔ながらの白タイルで、水風呂の所は白い豆タイルが使われています。
 個人的にはここの嵯峨湯さん、おでかけ編で紹介している島根県松江市の喜楽湯さんの脱衣場を思い出しました。帰りはご主人の丁寧な「ありがとうございました」の声に送られ嵯峨湯をあとにしました。設備的には劣っているんだけど、こういうお風呂屋さんも好きなんだなあ。
 追記事項として、ここはトイレが外にあります。トイレというより便所といった方がふさわしいんですが、建物の前にある小屋がそうです。扉のない場所にある妙に低い位置にある男性用便器は水洗になっていません。まあ興味のある方は帰りしなにでも。


 嵯峨湯さんは、JR嵯峨嵐山駅前の商店街の中にありますが、駅といい、商店街といいちょっと昭和チックな雰囲気を醸し出しています。嵯峨湯さんの南から、天竜寺門前に抜ける道の途中には、嵐山の嵐電駅前にも店を出されているお肉屋さん「中村屋」の本店もありますので、コロッケを仕入れてそぞろ歩くのも楽しいと思います。(ちなみに中村屋さんのコロッケは、本店で買うと60円で、嵐山駅前で買うより10円安いのです!)(→JR嵯峨嵐山駅)
 嵐山の周辺案内ですが、ここでは「十三まいり」について少々。大阪の十三じゃありませんよ(そっちも楽しそうですが)。京都の風習として数え年で十三歳になると、渡月橋を渡ったところにある
法輪寺に「十三まいり」に行きます。法輪寺の本尊虚空蔵菩薩は、智恵や技芸上達の守り神で、十三歳という大人と子供の境目のような歳に、智恵を授かり、技芸が上達するようにとお参りに行くわけです。帰りに渡月橋の上で後ろを振り返ると、もらった御利益がなくなってしまうというおまけもついています。
 実は私、この十三まいりに行っていません。姉の時には追いていったのですが・・・。今からでも間に合うかと手を合わせたのですが・・・駒札を読むと「幼年期から成長期に移ろうとする人生の転換期を守護される」ということで、どうやら遅かった様です。(←境内と舞台からの双ヶ丘越しに比叡山方向の眺め)
 みなさんも間に合わへん!と思われるかもしれませんが、行ってみましょう。高台にありますので、京都市内を一望できる景色は行く価値が充分です。(展望台のような舞台は、土日とお祭り時のみ開放されます)またここは寅年、丑年生まれの守護神様でもあり、狛犬ならぬ両脇に控える石像は、左が牛で、右が虎という珍しいものです。渡月橋を渡ったところの裏参道から5分も行けば本堂に着きますので、一度どうぞ。

 

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桜湯
廃業(記憶では2004年頃から休業)

右京区嵯峨伊勢ノ上町24の1  営業時間:16:00〜23:00 定休日:水曜日+第2木
嵐電嵐山本線「嵯峨駅前」下車 徒歩3分

 

 

詳しい場所を見る

入湯日:2003/11/30 16:30

 嵐電の嵯峨駅前で降り、真っ直ぐ南へ。三条通に出る手前を左に曲がったところにあるお風呂屋さんです。三条通からだと、JR嵯峨嵐山駅の看板が出ている道を北に入り、一筋目を東に入ったところです。隣がご自宅のようで、その前に車は2台駐車可能です。
 暖簾をくぐるとこぢんまりした玄関スペースで、珍しくT字型で段差が付けてありました。脱衣場への引き戸の上には、将棋の駒の形をした男女の表示が出ています。
 脱衣場は改装されていますが、番台の上には神棚があり、戎さんの福笹も飾られています。また男女仕切の突き当たりには、古いですが立派な大入り額が掛かっていてなかなかいい感じです。男女仕切の上あたりには、造花の鉢が二つぶら下がっているのですが、その鉢にさらに「祝新装」という札が掛かり「北村工務店」と向日市にある「勝山湯」の名前が入っていました。この造花の鉢はたまにお風呂屋さんで見掛けますが、元は新装祝いの造花だったんでしょうかね。
 休憩スペースとしては、道路側に按摩機が2台と、脱衣場のまん中にベンチが一台置かれています。飲み物関係は、森永の四面体があり、なかなかお目に掛かれないイチゴソーダやひやしあめ、ローヤルサニーほかお風呂ドリンクの宝庫です。
 浴室の方は、奥に狭いながらも2段式で4人ぐらい入れるサウナがあり、あとの浴槽は男女壁側に奥から水風呂、カラン2カ所を挟み泡風呂付きの白濁した薬湯、深風呂、ジェット2カ所と脱衣場側までせりだす電気風呂の複合浴槽が並んでいます。水風呂には珍しく信号三色の点滅式ネオンと泡風呂の設備が付いていました。深風呂と複合浴槽の間には、リンゴ型の噴水が付いています。
 個人的に白濁系のお湯は大好きなのですが、ここの薬湯の効能書きは「謹告」で始まる古めかしいもので「この温泉は別府温泉で左記の如き効能がある」と続き、気分を盛り上げてくれます。
 カランの所や、脱衣場の洗面台に使われているタイルは、白磁の様な風合いの花柄でなかなか質感のあるものでした。また、脱衣場の洗面近くには一部マジョリカタイル風のものも使われていました。
 そして忘れてならないのは、男女壁にあるタイル絵です。この位置にあるのは、伏見の呉竹湯に続き2軒目です。絵柄は中央に川が流れ、川べりに瓦屋根の民家、釣り人一人が描かれ、左手は川に迫った山、右手に丘陵といった構図です。サイズは三六角よりひとまわり大きいサイズのタイルで縦8枚、横17枚という大きさです。京都のタイル絵としては珍しく左下にサインがあったのですが、「蕉○」と○の部分が読めませんでした。タイル絵の状態ですが、残念ながら一部ひび割れや剥落があり、あまり良いとはいえません。
 あとで女将さんに聞いたところによると、タイル絵は昭和60年の改装時に設置したとのことでした。その際、鉄工所さんがカタログを持ってこられ、その中から選んだとのこと。女湯側も同じような絵柄だそうです。私と女将さんのこの会話に常連さんも加わり
常連「女湯見てきてええか」
女将「私はええけどどうなってもしらんで」
常連「何で富士山と違うんや、次はワシが描こうか、まけとくで」
女将「○○さんに描いてもろうたら競馬の絵になる」
などとさすがは、永年の付き合い。掛け合い漫才が始まったのでした。そんな桜湯さんです。


 周辺案内で嵐山のことを書いても、おそらく私よりみなさんの方が詳しいと思われますので止めておきます。ということで、嵐電の嵯峨駅前駅から桜湯さんへの道すがら気になったものを二つ紹介しておきます。
 一つ目は、嵯峨駅前駅から真っ直ぐ南へ行った所にある畳屋さん。現役の畳屋さんなんですが、なんと屋根が藁葺きです。時代は平成、いつからやっておられるんでしょうかね。この畳屋さんの近くには、お地蔵様を安置した会所のような建物もあり、一角がタイムスリップしたような感じです。
 そして桜湯さんに行く曲がり角にあるのが、文化年間に建てられた愛宕山と刻まれた常夜灯。文化年間といえば1804〜1818年まで、化政文化が花開いた頃です。鹿王湯近くにある常夜灯は天保年間のものですが、それよりまだ古いことになります。化政文化は、江戸を中心に花開いた町人文化で、浮世絵をはじめ洒落本、川柳なんかが盛んになりましたが、式亭三馬の「浮世風呂」もこの時代の作品です。この常夜灯から桜湯さんまで目測約100m。この間に川柳でもひとつひねってみますか。その間に浮かばなかったら、帰りはすぐそばの三条通りの方へ出てみましょう。絵はがきで見る嵐山の風景が広がっています。

 

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