栄湯
休業後、2009.6取り壊し

伏見区深草上横縄町10の14 営業時間:16:00〜23:00 定休日:水・木曜日
京阪「伏見稲荷」下車 徒歩4分 または 市バス「稲荷大社前」下車 徒歩3分

 

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入湯日:2003/08/12 22:00

 師団街道の十条と稲荷新道のちょうどまん中ぐらいにあるお風呂屋さんです。暖簾の脇にはミネラル湯浴泉の看板があります。暖簾をくぐると中央に可動式の円形傘立てがある玄関スペースで、もう一枚引き戸を入ると番台です。
 脱衣場は道路側にベンチが置かれ、その前には灰皿代わりの大きな火鉢がありました。他にも石田製の貫匁併記の32貫ばかり、男女仕切の上にちょこんと座っている小振りな招き猫、天井からぶら下がる造花の鉢などが目を楽しませてくれます。脱衣場に掛かる温度計には京阪伏見稲荷駅前の坂本文栄堂という文房具屋さんの広告が入っているんですが、電話番号の局番が二桁です。ちなみにこの文房具屋さん、現在でも駅の西側でしっかり営業されています。
 冷蔵庫は富士商事のものが置かれていますが、お風呂屋ドリンクはサイダーとフルーツサワーの2品だけでした。浴室入口の上部には、「ミネラル湯浴泉」とミネラル湯を使っている所ではお馴染みのロゴが入っています。
 この脱衣場の天井ですが、男湯女湯が独立した切妻のような形になっていて、浴室側は庇状になっています。この造りは近鉄桃山御陵駅近くの水晶湯さんに似ています。密かに水晶湯さんの浴室設備は深草設備(業界では「ふかせつさん」で通る)という会社の施工なんですが、ここ栄湯も深設さんです。関係あるんでしょうかねえ。
 浴室の方は、ほとんどが白タイルの懐かしい感じで男女壁側の奥から電気風呂、浅風呂、深風呂が並び、脱衣場側の両サイドに茶色のライオンの水吐きが付いた水風呂と、ジェット3カ所と泡風呂さらに信号三色の点滅式ネオンがある薬湯があります。
 この浴室は珍しく男女壁の奥から1/3ぐらいの所に柱が建っているのですが、その付け根は受け皿の付いた湯口として利用されていて、なかなかうまい方法だなと思いました。
 カランは壁側の他に島カランが6カ所あるのですが、細い鏡が付いている物でした。ここからちょっとマニアックになりますが、ご了解下さい。京都のカランはレバーの形が逆三角形で奥に押す方式のものが主流ですが、ここのカランはいろんな形のものが混ざっています。まず、逆三角形のレバーの他に、レバーが丸く「宝」と書かれているもの。これはたまに見ます。そこまではいいのですが、ここで初めて見たのは巴のマークのが入ったものです。よく太鼓とかに三つ巴の渦が書かれていますが、それを三つ巴ではなく二つ巴(こんな言葉はない)にしたような感じです。ってどーでもいい話ですね。
 あとミネラル湯浴泉の浴場には決まってある「いい湯だな。ここは栄湯ミネラル温泉(名前が各浴場名になる)」のPOPもしっかり壁に貼ってあり、周りを「ラドン」「イオン」などと書かれたあぶくが飛んでいます。このミネラル湯浴泉の販売元ですが、東洋ミネラル株式会社というところで、効能書きには会社名の後に京阪総合センターとありました。結構大きい会社なんですかねえ?研究所とか名乗らない辺りは、結構一般にも商品を販売してる会社かもしれませんね。
 風呂上がりは久しぶりにサイダーで一息。ミネラル湯浴泉を使っているところを思い起こすと何故か京都駅以南が多いような気がするんですよねえ。これも京都の銭湯界の謎です。


 栄湯まで来れば伏見稲荷もすぐそこです。ついでにお参りしていきましょう。伏見稲荷はいわずと知れたお稲荷さんの総本社です。栄湯から行く場合は、栄湯の少し南から東に入り、疎水を渡って本町通りに出るのがお勧めです。ちょうど本町通りに出た所に門前の土産物として有名な伏見人形を扱う「丹嘉」さんというお店があります。稲荷山は粘土を産出する山でもあり、この土を使った土人形が土産物として出来たのですが、街道沿いに軒を連ねていたという伏見人形のお店も現在では作っておられるのは「丹嘉」さん一軒のみです。(→丹嘉さんの店構え)
 さてお稲荷さんの方ですが、お参りに行かれたら是非千本鳥居を抜け稲荷山に登ってみましょう。本殿から30分ほど登った所にある四ツ辻という所まで登れば、京都盆地の南側を一望することが出来ます。体力が有り余っている方はこの奥に「お山めぐり」のコースがありますが、私も行ったことがないので案内できません。行かれた方どんな感じか教えてください(笑)。
 千本鳥居は登りはきれいやなあ、すごいなあと思いますが、帰りも密かな楽しみがあります。鳥居の後ろ側には、鳥居を建てた寄進者の会社名や住所、氏名などが書かれていてこれを見ながら下ると飽きません。へえ〜こんな会社がとか、芸能人の名前を見つけると嬉しくなります。2度おいしい千本鳥居、ぜひ四ツ辻まで行ってください。(↑千本鳥居と四ツ辻から龍谷大学方面を見たところ)

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伏見温泉

伏見区深草ヲカヤ町24 営業時間:15:30〜24:00 定休日:水・木曜日
地下鉄「くいな橋」下車 徒歩8分 または 市バス「竹田久保町」下車 徒歩4分 

 

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入湯日:2003/08/10 22:30

 国道24号線の竹田久保町から東へ龍谷大学方面に曲がり、パチンコ屋の大きな2階建て駐車場の西側を北側に行ったところにあるお風呂屋さんです。看板は特に出ていませんが、入口の蛍光灯カバーに「伏見温泉」と書かれています。
 入口を入ると男女を仕切るように置かれた下駄箱がある玄関スペースで、珍しいのは右側の壁に浴室にある広告の入った鏡が貼られています。さらに引き戸を入ると番台ですが、この番台前も脱衣場側に格子の様な仕切がありちょっと変わった造りになっています。この格子はなかなか考えられていて、桟が斜めにはめてあり、番台の角度からは脱衣場がよく見えますが、正面に回るとブラインドになるようになっていました。
 脱衣場はあっさりとした感じで装飾品類は特にありませんが、結構ゆったりした造りで道路側にベンチとテーブルがあるほか、男女仕切の所にもベンチがあります。男女仕切の鏡の下も棚になっているのが、ちょっと珍しい点です。
 あと張り紙でここは水道水であることが書かれていました。京都のお風呂屋さんは約9割が地下水ですので水道は少数派です。水道使用を書いてあるのを見たのは、ここで2軒目です。
 冷蔵庫は特にメーカー名などは入っていないもので、お風呂ドリンクはラムネだけが置かれていました。
 浴室の方も結構ゆったりした感じです。奥に7〜8人入れるサウナがあり、男女壁に沿って奥から泡風呂付きの電気風呂、泡風呂の薬湯、深風呂、ジェット2カ所付きの浅風呂、水風呂という構成です。薬湯はこの日ラベンダー&カモミールの紫色のお湯でしたが、脱衣場の案内板にレモン、ローズ&サンダルウッドも書かれていましたので、3種類でローテーションを組まれているようです。
 湯口は深風呂と浅風呂の間に横座りした裸婦像のものが、水風呂には片膝ついた女性の持つ瓶から水が出るものが付いていました。
 この浴室の特徴ですが、島カランが浴槽と反対側の壁のほぼ中央にあり、両側にカランが付いています。そのお陰で洗い場はかなりゆったりした感じです。カランは壁際にもシャワー付が11カ所並んでいますので、島カランは私が行ったときは誰も使っていませんでした。
 壁のタイル使いもあまり見ないもので、遠目には縦のストライプに見える、ベージュ〜白のグラデーションを繰り返したような感じになっていました。また浴室の奥から1/3ぐらいの所にアーチ状の意匠があり、赤いタイルで縁取られているのも特徴的です。そのアーチから手前が蒲鉾天井になっているのですが、湯気抜きは天井の大きさに比して小さく、壁に窓がある造りになっています。
 私はいつも通りサウナから入ったのですが、入った瞬間ちょっと驚きました。入って右手に一人掛けのスペースがあるのですが、その上に座禅の様に足を組み、頭から白いタオルを掛け顔を覆い、微動だにしないおじさんがいたのです。う〜ん、まさに修行系。それから私の体に汗がじわっと滲むぐらいまで、おじさんの姿勢はそのままでした。
 風呂上がりは、森永の白牛乳。ちょうどあまり慣れてない感じの中学生四人組ががやがやと入ってきました。でもね・・・着替えるとき教室で水着に着替えるみたいに腰にバスタオルを巻いて着替えてました。そういう年頃なんですかえ。誰も見てへんちゅうね。てなかんじの伏見温泉でした。


 伏見温泉の近くには郊外型の大きな駐車場を備えたパチンコ屋さんがあります。そしてその横には龍谷大学の深草キャンパス。多分龍大生でこの悪魔の誘いにはまってしまう人も少なからずいるんでしょうねえ。
 という話はさておき、伏見温泉の近くにある24号線(竹田街道)の交差点が竹田久保町です。ここから南へしばらく行った所に昨年ぐらいまで、松原牛乳という地場の牛乳メーカーの本社兼工場がありました。でもふと気が付くと工場がなくなっていたんです。
 この松原牛乳という会社はなかなか歴史のある会社でした。明治4年に創設された府営牧畜場の流れを汲むもので、明治13年に民間に払い下げられたものを、明治44年に初代松原栄太郎氏が継承したものです。そしてなんと宮内庁御用達の看板も持っていたのです。
 電話帳で松原牛乳の電話番号を調べ掛けてみたのですが、「現在使われておりません」の案内が流れるのみで繋がりません。で、元松原牛乳の販売店だった所にお聞きしたところ、2年ほど前に松原牛乳は全農(農協牛乳)に吸収合併され、工場も集約化で松原ブランドの製品は全農の工場で作られる様になったそうです。しかしその後の牛乳業界の再編で、全農は現在日本ミルクコミュニティ(メグミルク)になっています。現在も松原ブランドがあるかどうかまでは分からなかったのですが、実質的にはなくなったといってもいいでしょう。
 話は松原牛乳から逸れますが、京都には松原牛乳の他にも地場の牛乳メーカーとして、井上牛乳や京都乳業などいくつかのメーカーがありましたが、今では井上牛乳も京都乳業も廃業されてしまいました。ちなみに私の通った小学校の給食は低学年まで瓶牛乳で京都乳業のものでした。
 こういった中小メーカーの廃業は時代の流れでしょうが、街中には結構こういうメーカーの遺品である宅配ボックスが残っています。京都で宅配ボックスを見ると圧倒的に森永が多いのですが、探せば松原牛乳や井上牛乳のものも残っています。町歩きの楽しみのひとつに宅配ボックスも加えてみて下さい。(←松原牛乳と井上牛乳の宅配ボックス。松原牛乳は目の離れた牛がかわいい。井上牛乳のボックスには府立病院指定の文字が入っている)


 以前周辺案内で松原ブランドがまだあるか分からないと書いたのですが、発見しました。場所は伏見温泉から遙か離れているのですが、北野天満宮大鳥居から今小路通りを少し西に入ったところにある高田牛乳店です。
 この店の前には、松原牛乳の自販機があり、以前見本に松原のフルーツ牛乳が入っているボタンを押すと、雪印のフルーツ牛乳が出てきたということがあり、私はてっきり全て雪印(メグミルク)の製品になっていると思っていたのです。
 今回店内で瓶牛乳を売っておられたので、一本買おうと冷蔵庫を覗くと、なんと「松原濃厚乳」のラベルが巻かれた製品が並んでいるではありませんか。残念ながら商品の形態は、ポリキャップの今風ですが、松原ブランドは生きていました。ラベルによると現在では、兵庫県氷上町の兵庫丹但酪農農業組合の工場で生産されているようです。
 対応に出てくださったかなり高齢のおじさんに聞くと、紙パックの製品も自販機に入っているとのこと。こちらは京都府八木町のメグミルクの工場で生産されているようです。
 まあ中身は他社ブランドの牛乳と大差がないでしょうが、松原牛乳が現在でも生きていたということで、旧友に出会ったような感覚で家に持ち帰り、味わいました。味覚は思い入れで変わるようです。(2004.3.5加筆)

 

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日の出湯
2004夏廃業

伏見区深草仙石屋敷町49 営業時間:16:00〜23:00 定休日:木曜日
京阪電車「藤森」下車 徒歩12分 または 京阪電車「墨染」下車 徒歩12分 

 

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入湯日:2003/8/23 22:00

 場所を説明するのはちょっと難しいんですが、隣風呂の朝日湯の前の道を西にまっすぐ行ったところにあります。電車の場合京阪の藤森もしくは墨染どちらでも同じくらいの距離です。
 外観は壁面にガラスブロックが多用された独特の感じです。道路に面した入口以外には、飲み物やタバコの自販機がずらーっと並んでいてそちらに目を奪われてしまいます。
 入口の自動ドアを入ると左手にフロントがあり、奥が5人ほど掛けられる休憩スペースになっています。入浴料は券売機で入浴券を購入する方式になっていました。フロント前が男女の脱衣場に続く引き戸になっているのですが、ここにまた普通に外に架かっているような牛乳石鹸の暖簾が掛かっています。
 脱衣場は最近改装されたようで、天井は結構高いのですがさっぱりした感じです。しかし改装の時に残されたのでしょう、浴室の入口上部にはモザイクのタイル絵があります。男湯側は山間の川を行く筏流し、女湯側は手前に帆掛け船の浮かぶ湖がある富士山です。感覚ですが女湯に富士山があるのは珍しいような気がします。他にも扇形の木板に大黒様と戎様が顔を並べた縁起物が掛かっていました。
 浴室は新旧入り交じったような感じです。天井はペンキが剥げかけたやや古めかしい感じですが、壁はきれいに一目で最近のものと分かるタイルに張り替えられています。そして奥の壁には、一面手書きのタイル絵があります。モチーフは切り立った山の裾を流れる渓流です。しかしよく見ると左半分の色が褪せてきています。焼き付けなので基本的に退色するはずはないんですが、磨き砂で永年磨かれたせいでしょうかねえ?同じような現象を西院の黄金湯でも見ました。
 面白いのはタイル絵のある浴室の奥の方の天井は、ブルーの空のような感じの天井で、その中に照明が付いています。渓流のタイル絵をバックに空の照明。露天風呂を意識しての演出ですね、多分。
 浴槽の種類は脱衣場側にライオンの水吐きが付いた水風呂があり、あとは男女壁と奥の壁に沿ってL字形の浴槽があり、浅風呂、深風呂、電気風呂とジェットを兼ねた浴槽、深風呂という構成です。サウナは6〜7人サイズのものが浴室からはみ出す形で右手にあります。BGMは有線の演歌が掛かっていました。深風呂が2つあるように書きましたが、伏見の銭湯を紹介する
かばのしっぽさんの入浴記では、薬湯があるように書かれているので、右奥の浴槽はホントは薬湯のための浴槽の様です。でも私が行ったときは普通の白湯でした。
 浴室自体は結構ゆったりとしていて、基本的に両側にカランが並び、中央に掛かり湯用のお湯溜めが付いた島カランがあります。鏡に広告がないのも特徴です。
 風呂上がりはロビーでジュースを飲もうと、宝飲料の冷蔵庫を覗くとなんと!お風呂屋さんドリンクしか入っていません。ラムネにサワー、コーヒー、ローヤルサニーの4品のみです。外に自販機が並んでいましたが、中で売っているのはこの4品のみです。私は久しぶりにラムネをチョイス。あ〜夏やなあ。
 なかなか若者の多い活気のある日の出湯さんでした。


 お風呂屋さんを回っていなかったら日の出湯さんの辺りもあまり来る機会は無かったでしょうが、この機会に一回りしました。私の中で藤森といえば京阪藤森駅から歩いて5分ほどの所にある「京都市青少年科学センター」のイメージが強かったのですが、現在その隣には「京エコロジーセンター」という新しい施設も出来ています。
 青少年科学センターは、京都市内の小学生なら必ず一度は訪れる施設で、科学の基本的な原理を楽しく理解できるようになっています。そして目玉はプラネタリウム。東京で渋谷のド真ん中にプラネタリウムがあったときにはびっくりしましたが(数年前に閉館)、京都でプラネタリウムといえば藤森です。週末以外でも昼から毎日上映されています。ちなみに土日は京都市内の小中高校生は、入場料、プラネタリウムの追加料金も無料になります。詳しくは
青少年科学センターのホームページをご覧下さい。
 また隣接する
京エコロジーセンターは、展示内容もさることながら建物自体エコロジーを意識して建てられており、太陽光発電や雨水利用など様々な工夫が凝らされています。こちらは入場無料で屋上にも登ることが出来ます。合わせてどうぞ。

 

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朝日湯
2016.2上旬より休業

伏見区深草七瀬川町894 営業時間:14:30〜20:15 定休日:金曜日
京阪「藤森」下車 徒歩8分 または 京阪「墨染」下車 徒歩8分

 

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入湯日:2003/08/16 22:30
   :2004/11/10 22:00

 師団街道を大岩街道(名神の少し南)からさらに南に行くと左側にあるお風呂屋さんです。入口は師団街道と交わる東西の道に面してあり、珍しく暖簾は塀の中側に掛けられています。
 おっと、入口を入る前にちょっと門の上を見て下さい。鍾馗さんが飾られています。古い商家などにはよく飾られていますが、お風呂屋さんではここだけではないでしょうか。塀を入ったところは横に長〜い玄関スペースで、屋根はありますが、半屋外の様な感じです。そしてそのスペースの男湯側には小さな祠が祀られています。伏見のお風呂屋さんを紹介されているかばのしっぽさんの入浴記によると弁天さんということです。この祠はちゃんと左右に狛犬が置かれていて、鈴が付いていたり、灯籠には電気が入っているなどなかなか手厚く祀られています。さらに前には手桶を三つ重ねてありました。
 脱衣場の方は、アクリル板の窓がついたロッカーや籐籠など落ち着いた感じです。男女仕切の上には、黒い招き猫のほか、大黒さんと戎さんが一体となった置物や、簡単な造りの神棚などが置かれていました。ほかにも、シャンプーなどが入ったガラスケースの上には、おかめさんの人形やそのほかかわいい小物がいろいろと並べられています。ちょっと雰囲気が違うのは、ロッカーの並びにイージズ鑑が写った防衛庁のカレンダーが掛かっていました。
 飲み物類は、富士商事の冷蔵庫があり、お風呂屋さんドリンクはラムネやサワー、ローヤルサニーなどが入っています。
 浴室の方は、一昔前に改装されたような感じで、男女壁はレンガ調のタイル、それ以外は大き目の白タイルになっています。浴槽は男女壁に沿って手前から、水風呂、スロープの付いた寝湯風の浴槽、深風呂、電気風呂、泡風呂付き薬湯と並び、なぜか男女壁と反対側の奥にジェット3カ所と泡風呂、ネオンが付いた浴槽があります。なんで全部男女壁側に並べなかったかは分かりませんが、男女壁の置くにカランが数カ所作られています。湯口は深風呂と寝湯の間にリンゴ型の噴水があります。
 このお風呂屋さんに行ったのは、10時15分ぐらいだったんですが、最初に薬湯で暖まり、体や髪を洗っていたら突然モーター音が消えました。時間は10時35分。閉店は11時なんですが、この時間には全ての装置を止められるようです。奥の浴槽に入る前に止まったので、ネオンが何色なのか、また点滅式なのかは不明です。
 ここの浴室の特徴としては、シャワーが全てハンドシャワーです。でも普通の固定式の位置に差す所があるので固定シャワーとしても使えます。なかなかいいと思いました。
 あとたまたまでしょうが、客層が非常に若いという印象です。私以外に3人入っていたんですが、多分私が一番年上でした。京教大の学生でしょうかね。
 風呂上がりは、ローヤルサニーでまったりと書きたいところですが、10時50分には女湯の電気は消され、男湯では多分息子さんでしょうか、掃除を始めておられました。朝日湯に行く場合は閉店間際は避けましょう。


 鏡広告で面白いものを発見。鏡広告の広告会社「関西通信」の広告が2枚あるのですが、そのうちの1枚はなぜか「女性(得意先廻り)」というもの。男湯になんであるんでしょ? 8:30〜4:30土日祝定休と書かれているのですが、給料については触れられていません。年齢が30〜50歳というのもなんか微妙な指定の仕方です。
 一方「男子営業」の方は、40〜63歳の年齢指定。固定給は18万と書かれていました。関西通信は、今はもう営業していない会社なので確認できませんが、浴場広告で応募してきた人っているんでしょうか?気になるところです。



 朝日湯さんのある師団街道ですが、この辺りは車の場合南行一方通行なんですが、バイクは両面行けます。伏見区は何故かこのパターンが多い様な気がします。本町通りしかり、結構恐い目に会いますので注意しましょう。
 その師団街道を南へ徒歩10分程、墨染の商店街を越えた左側に欣浄寺(ごんじょうじ)というお寺があります。師団街道には小さな看板があるだけで、駐車場の奥にコンクリート造りの本堂があるので、見落としてしまいがちなんですが、ここに大仏様があります。通称「伏見大仏」。高さは一丈六尺(約5.3m)もある寄せ木造りで江戸中期の造営。木造の大仏としては日本で最大だそうです。京都で大仏といえば、焼失してしまった方広寺の大仏が挙げられますが、その教訓からコンクリート製の本堂を建てられたそうです。私も見たことがなかったので是非と思い本堂の前に行くと、「こちらに電話を」との貼り紙があり、鍵が掛かっていました。携帯から電話すると程なくおばさんが出てこられ本堂へ通して頂きました。本堂内は正面奥が半地下になっており、大仏様が安置されています。正直表面の傷みが目立ったので聞いてみると、和紙を貼った上に漆が塗ってあるそうです。必然的にマンツーマンなわけですが、特に拝観料は取っておられませんので、仏様の前に志納してきました。この大仏の他にも聖徳太子作と伝えられる阿弥陀如来像や深草少将の像(写真)なども見られます。この欣浄寺さん、大仏だけでなく小野小町に思いを寄せた深草少将の悲恋物語の舞台でもあり、庭には小町姿見の池や小町塚などもあります。あまり目立った看板もなく、訪れる人もあまりないようですが、なかなか実力派のお寺だと思いますので、一度どうぞ。その際は事前に電話された方がいいかも知れません。電話は075(641)2131 or 075(642)2147です。
(↑左:伏見大仏、右:深草少将の像)

 

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軍人湯

伏見区深草極楽町775 営業時間:16:00〜23:00 定休日:水曜日
京阪「藤森」下車 徒歩3分 

 

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入湯日:2003/07/21 22:00

 京阪藤森駅の東側を走る直違橋通りの商店街の中にあるお風呂屋さんです。建物はちょっと奥まったところにあるのですが、路地の角にはコインランドリーがあり、この建物が黒い板張りの時代物の建物です。暖簾の前に立つと、右手にお稲荷さんのお社とお地蔵さんのお社が祀られています。
 玄関スペースに入ると「サウナ150円」の札が!ここは、京都市内では珍しくサウナが有料です。でも、サウナはガスの遠赤サウナで、黄色のバスタオルも貸してくださるのでその分の料金と考えましょう。
 脱衣場はこぢんまりした感じですが、道路側にはベンチの置かれた喫煙所っぽい休憩スペースがあります。籠は籐籠とプラスチックが半々ぐらいなんですが、籐籠はよく見るものよりやや嵩が高いような感じがしました。装飾品で目を引くのは、男女仕切の上に置かれたおかめさんの置物です。ちゃんと日本人形のようなガラスケースに入っています。あとこの脱衣場の特徴は、天井が切妻風に両脇が低く真ん中が高い造りになっています。ただ、造りは結構新しい感じだったので、改装時にそうされたようです。飲み物は、自販機のみで、サントリーの自販機がロッカーの並びに置かれています。
 浴室の方は、シャワー付のカランは12カ所とこぢんまりした感じで、奥に5,6人サイズのサウナと黄色い点滅ネオン付水風呂があり、男女壁側に泡風呂&ジェット付寝風呂、腰掛け型ジェット、深風呂、電気風呂を備えた複合浴槽と、円形の浅風呂があります。面白いと思ったのは、寝風呂にも円形の浴槽にもジェットが付いていて、普通の腰掛けジェットと合わせ3カ所にジェットが付いています。このほかに、脱衣場側に電話ボックスのようなお湯と水が選べるシャワービックスがあります。
 タイル使いなんですが、ほとんどが白色系のタイルを使っておられます。でもこのタイル、よく見ると釉薬の濃淡で花柄が付けられているものでした。どのくらい手間が掛かるのかは、私には分かりませんが、一手間掛かっています。また、男女壁は赤紫で山をイメージしているのでしょうか、ちょっと変わったデザインがありました。
 書き忘れてましたが、このお風呂屋さんのシャワーは、すこぶる勢いが強いです。一度経験してしまうと、普通のところが頼りなくなるかも知れません。
 風呂上がりは、ジュースを飲みながらまったり。休憩スペースにあるマンガの横に「THE FUSHIMI」という冊子を発見しました。軍人湯のこともちょっとだけ乗っていて、深草に旧日本陸軍の第16師団があった頃、軍人さん専用のお風呂屋さんだったとか。一癖あるこの名前の由来は、そういう事らしいです。


(2012.12.2再入浴)
 半年ほど前に路地の両側の建物を壊して駐車場3台分確保されました。コインランドリーはプレハブで新築。
 浴室内は、水風呂がプラ竹で装飾されていたのと、サウナの屋根の上に竹垣が出来ていたところが変更点。サウナが以前は150円(バスタオル付き)だったのが、110円に値下げされてました。サウナは回数券もあり10枚で900円、かなりお得です。


 入浴記の最後にも書きましたが、深草は明治の終わり頃から軍都として開けました。もちろんそれ以前は、京都と伏見を結ぶ伏見街道の街道筋としての顔を持っていましたが、明治末期に陸軍施設が置かれ、大きく性格を変えます。
 まず、明治31(1898)年に歩兵第38連隊、第19旅団司令部、京都連隊区司令部などが深草に置かれます。その後明治41年には、これらを統括する第16師団指令本部置かれると、その他の連隊や病院が次々と併設されました。軍人湯から深草商店街をしばらく北に行くと、聖母女学院がありますが、聖母女学院の本館は、第16師団指令本部の建物がそのまま使われています。(←旧第16師団指令本部、現聖母女学院本館)
 その他にも、この辺りでは京都教育大学は京都連隊区司令部などが置かれた跡地ですし、国立京都病院は陸軍病院、深草中学は騎兵第20連隊、龍谷大学は兵器庫及び火薬庫、青少年科学センターは野砲兵第22連隊といった具合に、大きな敷地はほとんど軍関係の施設があったところです。
 現在の京阪藤森駅も昭和16年まで「師団前」という駅名でしたし、現在でも師団街道や第一軍道、第二軍道など当時の名前をそのまま引き継ぐ道路もあります。
 当然軍施設が移転してくれば、それに伴い人も移ってくるわけで、軍人湯辺りの直違橋(すじかいばし)通り(旧伏見街道・旧大和街道)も、軍関係の人でずいぶん賑わったようです。
 平和な現在は、もちろん軍関係の面影はありませんが、軍人湯あたりは結構にぎやかな商店街です。軍人湯のななめ向かいには、焼き芋屋さんなどもありぶらぶら歩いても楽しい街です。深草の歴史を想いながら散歩しましょう。(→聖母女学院の隣にあるカトリック伏見教会)

 

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宝湯

伏見区深草大亀谷西久宝寺町18  営業時間:16:00〜22:00 定休日:金曜日+第2・4土
京阪「藤森」下車 徒歩12分 または 市バス「西久宝寺町」下車 徒歩1分

 

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入湯日:
2003/04/21 21:30
2003/07/12 22:00

 ここも前から行きたいと思っていたお風呂屋さんです。「寶温泉」と右から書かれた洋館風のその建物はマニア心をくすぐります。玄関スペースの部分は後から増築されたようですが、上半分は窓の上の飾りなど見応十分です。出来れば明るい内に行って、外観もゆっくりと楽しみたいところです。
 玄関スペースは、懐かしいタイル使いの横長空間で引き戸を開けると、これまた想像を裏切らない脱衣場が広がっています。壁天井はほとんど漆喰で塗られ、所々にアーチや段々を付けた意匠が見られます。男女仕切の手前と奥には洋館らしく円柱が建っていて、天井近くには装飾もなされています。またこの円柱の台座には、大理石と思われる石版も貼られています。天井からは、三枚羽の扇風機がぶら下がっているのですが、この付け根は漆喰で同心円の模様が施されており、昔はここから電気が釣ってあったと思われます。
 洋館風のお風呂屋さんとしては、白川温泉がよく出てきますがここは白川温泉より、より洋館色の濃い空間です。そこに、透明窓付き木製ロッカーと飴色の籐籠、籐筵、体重計と並んだ木製の身長計とくれば銭湯好きには益々堪えられない空間です。ロッカーの造りもなかなか興味深く、一番端の列は観音開きで開くようになっており、常連さんの物置スペースになっていました。
 浴室の方もなかなか味のある空間です。浴槽は奥の壁と男女壁に沿ってL字型にあるのですが、中央部分の洗い場スペースが広く取ってあり、言いようによってはガラーンとした感じです。そこにカランタワーが3つ、不規則に配置されています。
 浴室に入った右手には、浴室からははみ出す形で4,5人サイズのスチームサウナ、左手には脱衣場側にはみ出す形でライオンの水吐き付の泡風呂になった水風呂があり、後は奥の壁に沿って泡風呂の酵素風呂、電気風呂、直径1mぐらいの泡風呂付き人間洗濯機、ジェットが2カ所付いた浅風呂が並び、男女壁側に深風呂といった構成です。サンパルコというメーカーの酵素浴剤が入った浴槽は、なぜかお湯が半分ぐらいしか入ってなかったんですが、伏見のお風呂屋さんを全ぶ紹介されているかばのしっぽさんの入浴記を見ても半分だったと書いてあるので、常にこういう状態のようです。でも浴槽が深いので普通に入ることは出来ます。浅風呂にはネオンの装置が付いていたようですが、行ったときには使われていませんでした。でもと行っては何ですが、この浅風呂の底には、タイルの鯉が2匹泳いでいます。その横にある人間洗濯機は、絶滅危惧装置とでもいいましょうか、市内でも数軒しか残っていません。存分に楽しみましょう。
 壁はほとんどが白タイルで、男女壁だけ渋い萌葱色のタイルです。天井と壁の境目には不揃いの薄いタイルでモザイク状に装飾がされていて、こういう細かい丁寧な仕事は見ても楽しいものです。
 風呂上がりは瓶牛乳を飲んで一休み。空間を存分に堪能してきました。


 このお風呂屋さんには、後日もう一回訪れ、いろいろとお話をお伺いしました。
 惚れ惚れする建物は、昭和6年建造で、脱衣場はほぼ創建当時のままだと言うことです。ただ、浴室を改装した際に、脱衣場の浴室側の漆喰細工を元通りに復元する職人さんがおらず、現在はアーチ状の意匠になっているとのことでした。完全に洋風に見える建物も、外壁と内装が洋風で、実は瓦葺き(現在はトタン)の屋根なんだそうです。また、開業当時は現在玄関が増築されたところに、池のある庭があったそうで、その姿も気になるところです。
 興味深い話として、ここの造りは女湯側の方がやや広く造られています。元々は男湯、女湯が逆だったそうで、ベビーブームの頃、女湯にベビーベッドをいくつも置く必要があったため、男女を入れ替えられたそうです。
 普通に入るだけでは分からないことが、いろいろと隠されているものです。(→円柱や漆喰の装飾が見られる脱衣場)



 宝湯の西側には、国立京都病院の敷地が広がっていますが、これは元陸軍病院だった敷地です。その隣にある伏見区役所深草支部も軍の練兵場跡です。深草と陸軍の関係は、軍人湯のところでも触れていますので、そちらも合わせて読んで下さい。
 一方、宝湯の西側にはJR奈良線の線路が走っていますが、この路線も歴史を調べるといろいろと面白い話が出てきます。(→宝湯近くを走る奈良線)
 東海道本線が開通したのは、明治13年のことですが、当時京都から大津方面への東海道線は現在の奈良線の一部を経由し、宝湯近くからほぼ現在の名神高速の経路を辿って東に向かっていました。大正10年に東山トンネルが完成し、この東海道線は廃止となるのですが、その後京都駅から宝湯辺りまでの線路は、奈良線として利用されるようになります。
 ここまでなら、まだいいのですが伏見の鉄道路線は紆余曲折、複雑な歴史があります。元々京都と奈良を結ぶ鉄道で奈良鉄道という会社がありました。大正10年に京都駅から深草辺りまでの東海道線が、奈良線になるわけですが、現在のJR奈良線の桃山以南は奈良鉄道の線路だったんです。国鉄が桃山以南の奈良鉄道を買収したような形です。その時の奈良鉄道の桃山以北は、現在の近鉄電車の軌道です。ですので現在の近鉄電車の京都〜丹波橋とJR奈良線の桃山以南は、奈良鉄道の一本の線路だったんです。そう言われてみると、地図上で、この路線はなめらかに繋がります。
 その後、奈良鉄道の京都〜伏見間は奈良電気鉄道(通称奈良電)に払い下げられ、奈良電は昭和3年に現在の近鉄電車の線路に当たる丹波橋以南の路線を開通させ、昭和36年に近鉄電車に合併されるまで、奈良電の愛称で親しまれていました。(←旧東海道線の唯一の建物として残るJR稲荷駅横のランプ小屋。事前にJR宇治駅0774(21)2061に連絡すれば見学も出来ます)
 さらに複雑なことに、この奈良電は現在の丹波橋駅で京阪電車と相互乗り入れをしていました。今となっては不思議な感じですが、京阪電車の京都駅行きなんて電車が存在してたわけです。昭和43年に、相互乗り入れはなくなるのですが、なかなか複雑な歴史です。
 ちょっと言葉の説明では解りにくいと思いますが、横に地図でも広げて読んで下さい。

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泉湯
半年ほどの休業後2015.9.1廃業

伏見区深草藤森玄蕃町579 営業時間:15:00〜22:00 定休日:月曜日
京阪電車「墨染」下車 徒歩4分 または 市バス「墨染」下車 徒歩3分

 

詳しい地図を見る

入湯日:2003/07/31 22:30

 伏見街道(大和街道)と藤森神社の参道に向かう道の交わる角にあるお風呂屋さんです。入口中央には、扇形の木製看板に「泉湯」と書かれた看板が中央にあり、左右に同形で「御殿方」「御婦人」の看板も掛かっています。結晶ガラス風のガラスがはまった引き戸を開けると、懐かしいタイル使いの玄関スペースがあり、もう一枚引き戸を入る番台です。
 脱衣場は、結構横に広くほぼ正方形のようなスペースです。京都では珍しく床が籐筵ではなく板の間でした。ロッカーは透明アクリル板の窓が付いた物で、枠は緑色のセルロイドの様な加工がされています。横10列、縦5段のなかなか大きなロッカーです。
 この脱衣場で目を引くのは、なんといっても浴室入口上部にあるタイル絵です。美保の松原の羽衣伝説をモチーフにしたもので、海をバックに松が3本、羽衣を手にした若者が遠くを見つめている絵です。この絵には仕掛けがありまして、青年の見ている方をずっと辿っていくと、浴室内の左側の壁の上の方に天女が舞っているタイル絵があります。脱衣場の絵と浴室の絵が繋がっていたのでした。面白いことにこのタイル絵は、女湯側と男湯側が全く一緒ではありませんが、鏡像関係になっています。男湯では青年が左を向いているのですが、女湯では右を向いていて、女湯の浴室側にも天女のタイル絵があります。
 脱衣場に戻りますが、この脱衣場には浴室入口の左右に洗面台があります。そして洗面台の横の壁にも海と松、カモメが描かれたタイル絵があります。脱衣場には都合三カ所タイル絵があることになります。
 他にもこの脱衣場にはいろいろと興味深い物がありました。まず金たらいです。洗面台に備え付けてある洗面器が金たらいなんです。なんて懐かしい!他にも男女仕切の上に神棚のお社がふたつ並んでいて、丁寧に屋根が別構造で設けられています。そしてその屋根からは神社に下がっているようなカランカランと鳴らす鈴まで掛かっています。お社を後ろから見るとそれぞれのお社に「稲荷大神」「藤森大神」と書かれていました。さすが地元です。さらに石井時計店と金文字で書かれたボンボン時計もいい味出してます。よく見ればこの時計屋の電話番号の局番がまだ二桁です。嬉しいことに冷蔵庫(冷蔵庫は富士商事だがお風呂屋さんドリンクなし)の他にアイス(グリコの赤い冷ケース)も売っていますので、お風呂上がりの楽しみにどうぞ。
 浴室の方もタイル絵がすごいんです。正面の壁一面には、アルプスの山をバックにした湖が描かれ、湖畔には教会風の建物、そして湖面には鴨や白鳥が泳いでいます。サウナの増設などでタイル絵が欠けてしまっているところがありますが、ここは丁寧に奥の壁側のカランには鏡を付けておられずきれいに全面残されています。
 浴槽は中央に浅風呂と深風呂の主浴槽があり、脱衣場側にジェットの浴槽と水風呂、逆サイドに使われていませんでしたがシャワーコーナーという構成です。ジェットと水風呂の2つの浴槽にはそれぞれライオンの水吐きが付いていて、大小二つのライオンが並んでいます。
 ジェットの吹き出し口なんですが、これがまた時代物で空気の吸い込み口が潜望鏡のように水面から10Bほど出ていました。さらにこの浴槽にお湯を注ぐ無骨なカランのコックには「耐久カラン」の文字が!名前に負けずしっかり耐久しています(笑)。
 他この浴室の特徴としては、鏡が縦長で横に5Bぐらいの間隔で並んでいるのですが、これがカランの幅を完全に無視しています。何ででしょうね。
 風呂上がりにご主人に聞いたところ、タイル絵は昭和39年頃に取り付けた物だそうです。ふんだんに使われているタイル絵は当時でも大変高価で「家が一軒建つぐらいかかった」ともおっしゃっていました。浴室も大きい改装はその時が最後だそうです。床に掘られた排水溝といい、釜場へ繋がる木の扉といい同時期に改装されそのまま残っている白川温泉と浴室の感じはよく似ています。なんとその改装までは、床の一部はまだ木製だったという話も伺いました。京都市内は残り40軒ぐらいなんですが、ここにあったか京都で一番のビジュアル銭湯って感じです。
 このお風呂屋さんには、後日営業時間前に伺い写真を撮らせて頂きました。合わせてどうぞ。

←羽衣を持った青年の視線の先には・・・。

女湯側はライオンと熊の水吐き→

 

↓男湯側はアルプスと湖。
 女湯側は風車と運河


 泉湯さんまで行ったなら脱衣場にもお祀りされていた藤森神社にお参りしておきましょう。平安京遷都以前からある古社で菖蒲の節句の発祥の神社として知られています。その5月5日の菖蒲の節句に行われる藤森祭(深草祭)では、駆け馬神事が行われます。駆け馬神事は上賀茂神社や下鴨神社が有名ですが、古社の神事の特徴であるという話を聞いたことがあります。また藤森神社は藤森祭以外にも6月には紫陽花まつりが開催され賑わいます。
 現在平成15年11月まで重要文化財の本殿は藤森神社鎮座1800年祭に向け改修工事中ですが、境内には御神水「不二の水」や旗塚などがあり、広い境内を自由に散策できますのでちょっと散歩でもというには最適です。(←参道入口の石碑と境内にある不二の水)
 また最近では、菖蒲と勝負、駆け馬神事に引っかけ「競馬の神様」として競馬ファンの篤い信仰を集めていて社務所では縁起物の「左馬携帯ストラップ」が売られています。もし競馬ファンで京阪電車で淀の京都競馬場に向かわれるなら、墨染駅で下車し、ちょっと藤森神社でお参りして行かれたら勝負強くなるかもしれませんよ。

 

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